「フジパク@富士本町」。その打ち合わせの模様が、公式サイトに載りました。
http://fujipaku.i-ra.jp/e182373.html
金曜の午後、場所は吉原本町の市民活動サポートセンター(コミュニティf)。「なんだ、真昼間っからこんなところで何やってんだ」と言われないよう、ちゃんと2時間の有給を取って参上しております。写真は、コミュニティfの所長の小池さん、旧富士川町にお住まいの富士市議会議員の井上先生です。あと、写真を撮ってくださっているのが、このイベントの仕掛け人、酒屋の山崎さん(高校の大先輩であることが判明)です。
富士市はなんだかんだ言って広く、もともといくつもの街が合併して出来た都市です。ちょうど今、地理の授業で「都市」をやっていますが、「富士市のCBD(中心業務地区)ってどこだろう?」というと、大人でも悩みますよね。実は、富士市はいくつもの市や村が合併して出来た街なので、「ここが中心」(・・・だったorだったはず)という場所がいくつも存在します(詳しくは、Wikipediaの「富士市」の「歴史」欄を参照)。その中で、富士川町との合併(2008年)より前の最後の合併となった、1966(昭和41)年の富士市・吉原市・鷹岡町の3市町の合併とその後の歩みは、後に「平成の大合併」が起こった時、「合併した街の20年後、30年後は一体どうなるのか?」を議論する上で、よくケーススタディに挙げられるようになりました。
富士市の顔も、吉原市の顔も立つように、両市が接する地点(要はどちらの市からも街はずれ)に建てた市役所は、名前こそ「永田町」と、なにやら政治の中心のような響きがありますが、40年経った今も、「緑は多くていいけど、なんか、寂しいなあ」という感はぬぐえません。
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ツアーでは、旧富士市役所(今の富士税務署のある場所)も行きますが、真後ろが工場で、「ここが富士の政治と経済の中心だったの!?」と言うにはちょっと「?」な所ですが、裏を返せば、街中の、東海道と鉄道に挟まれた一等地に製紙工場を誘致してまで「富士駅」を作りたかった、101年前のご先祖達の情熱を偲ぶ上では「なるほど」と思わせる立地かもしれません。
打ち合わせでは、富士本町の話よりも、お隣の旧富士川町話でやたらに盛り上がりました。
「富士川駅(旧岩淵駅)は、富士駅より古い」とか、「岩淵駅の傍には運河があった」とか、「富士川の水運は、徳川家康が開き、下りは材木、上りは塩が運ばれ、今も町には“塩屋”が残っている」等、「ビバ!富士川町」という話がたくさん聞けました(「富士川町」は2008年11月1日にに地図から消滅しましたが、2010年3月8日に、山梨県で復活するんですよね。詳しくは、小池所長の人気ブログ、フジブログ:2009年3月13日参照)。
「旧富士川町は、旧東海道の道幅が拡張されることなく(新道を別に作ったので)、古い街並みがそのまま残っているところが多いので、結構見所が多いんだよ。」と、井上先生。猫も杓子も「富士山、富士山」と言っていますけど、「富士川」の歴史と魅力を掘り下げるのもまたいいものだなと思いました。何しろ富士駅の辺りだって昔は富士川の旧河道がガンガン走っていたのですから(地名に「島」が多いのはそのため)、あながち無縁ともいえません。うちの裏の庭を耕すと、嫌になるくらいに丸い石ころが出てくるのもそのためです。
とめどなく書いてしまいましたが、身近な地元をじっくり見てみる「フジパク」。今後が楽しみです。