2010年02月08日

「フジパク」を煮詰める

 2月28日(日)に、私が生まれ故郷の富士本町を案内するイベント

「フジパク@富士本町」。その打ち合わせの模様が、公式サイトに載りました。

http://fujipaku.i-ra.jp/e182373.html

 金曜の午後、場所は吉原本町の市民活動サポートセンター(コミュニティf)。「なんだ、真昼間っからこんなところで何やってんだ」と言われないよう、ちゃんと2時間の有給を取って参上しております。写真は、コミュニティfの所長の小池さん、旧富士川町にお住まいの富士市議会議員の井上先生です。あと、写真を撮ってくださっているのが、このイベントの仕掛け人、酒屋の山崎さん(高校の大先輩であることが判明)です。

 富士市はなんだかんだ言って広く、もともといくつもの街が合併して出来た都市です。ちょうど今、地理の授業で「都市」をやっていますが、
「富士市のCBD(中心業務地区)ってどこだろう?」というと、大人でも悩みますよね。実は、富士市はいくつもの市や村が合併して出来た街なので、「ここが中心」(・・・だったorだったはず)という場所がいくつも存在します(詳しくは、Wikipediaの「富士市」の「歴史」欄を参照)。その中で、富士川町との合併(2008年)より前の最後の合併となった、1966(昭和41)年の富士市・吉原市・鷹岡町の3市町の合併とその後の歩みは、後に「平成の大合併」が起こった時、「合併した街の20年後、30年後は一体どうなるのか?」を議論する上で、よくケーススタディに挙げられるようになりました。


  富士市の顔も、吉原市の顔も立つように、両市が接する地点(要はどちらの市からも街はずれ)に建てた市役所は、名前こそ「永田町」と、なにやら政治の中心のような響きがありますが、40年経った今も、「緑は多くていいけど、なんか、寂しいなあ」という感はぬぐえません。


大きな地図で見る


ツアーでは、旧富士市役所(今の富士税務署のある場所)も行きますが、真後ろが工場で、「ここが富士の政治と経済の中心だったの!?」と言うにはちょっと「?」な所ですが、裏を返せば、街中の、東海道と鉄道に挟まれた一等地に製紙工場を誘致してまで「富士駅」を作りたかった、101年前のご先祖達の情熱を偲ぶ上では「なるほど」と思わせる立地かもしれません。

 打ち合わせでは、富士本町の話よりも、お隣の旧富士川町話でやたらに盛り上がりました。
 「富士川駅(旧岩淵駅)は、富士駅より古い」とか、「岩淵駅の傍には運河があった」とか、
「富士川の水運は、徳川家康が開き、下りは材木、上りは塩が運ばれ、今も町には“塩屋”が残っている」等、「ビバ!富士川町」という話がたくさん聞けました(「富士川町」は2008年11月1日にに地図から消滅しましたが、2010年3月8日に、山梨県で復活するんですよね。詳しくは、小池所長の人気ブログ、フジブログ:2009年3月13日参照)。

 「旧富士川町は、旧東海道の道幅が拡張されることなく(新道を別に作ったので)、古い街並みがそのまま残っているところが多いので、結構見所が多いんだよ。」と、井上先生。猫も杓子も「富士山、富士山」と言っていますけど、
「富士川」の歴史と魅力を掘り下げるのもまたいいものだなと思いました。何しろ富士駅の辺りだって昔は富士川の旧河道がガンガン走っていたのですから(地名に「島」が多いのはそのため)、あながち無縁ともいえません。うちの裏の庭を耕すと、嫌になるくらいに丸い石ころが出てくるのもそのためです。

 とめどなく書いてしまいましたが、身近な地元をじっくり見てみる
「フジパク」。今後が楽しみです。

posted by いとちり at 21:59| Comment(0) | TrackBack(0) | City&Mt.富士 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月03日

富士山の日(2月23日)考(今日も長くてすみません)

 趣味に走りまくった記事を長々書いていたら、自分の作ったもう一つのブログににランキングで抜かれてしまいました(笑)。

上にもある
にほんブログ村 教育ブログ 教育者(高校)へ このボタンをクリックしていただくとその意味がわかります
         (とか言って誘導したりして・・・・。)

 それはさておき、今日職場で「富士山の日」に関するアンケート(というか自由記述)の紙が回欄で廻りました。昨年末に県議会で可決され、今年は無理なのですが、早ければ来年から「県民の祝日」として、公立学校(私立はどうなるかは未定)が休みになるというもの。「それについてどう思いますか?」
・・・って、現職の教師に聞いてどうすんのよと思いながら書きこもうと思ったら結構皆様否定的な見解。「へぇー、誰しももろ手を挙げて喜んでるわけじゃないんだ」
と、妙に感心してしまいました。

 考えてみると、「世界遺産を目指すために、富士山をたたえ、県民の意識を盛り上げるべく、祝日に!」
と音頭を取られたところで「で?、それに何の意味が?」と言いたくなる人が出てくるのも自然なお話。「愛国(県)心が足りない!」と、憤慨する偉い方もいるかもしれませんが、何かこんな議論、どこかで聞いたことがあるような・・・・・・あ、そうだ同じ2月、「建国記念の日」と同じロジックで考えればいいんだと勝手に解釈しました(かなり乱暴な例えですが、推進派の皆様、怒らずに最後まで読んでください)。

 「日本書紀」の中で、神武天皇が即位されたとされる日が建国記念の日。各地でその日を祝い、意義を考える集会が行われる一方で、その意味を問い、反対する集会が開かれて、どちらも風物詩のように必ず夕方のニュースに出ますよね。

 静岡県人と山梨県人にとって富士山は、聖なる山、母なる山であり、同時に「生活の山」でもあります。私達は富士山の水で暮らし、富士山の幸を口にして毎日過ごしてます(桜エビも、しらすも富士山の恵み、真冬の「いちご」は、実は真夏に苗を富士山麓で冷やすから食べられるんですよね)。確かに、1年に1回ぐらい、仕事の手を止めて、冬の晴れた日にゆっくりと富士山を見ながら感謝し、郷土のこれからを考える、それはそれで良いことだと思います。

 でも、ちょっと待って下さい。それを制定し、旗を振っている
「静岡県」なる団体(私もそこの禄を食んでいる人間ですが)が今までこの山とそのすそ野で一体何をしてきたでしょうか・・・・・堂々と「富士山を大切にしよう!」と言えるでしょうか?
そのあたりの「負の歴史」を知る人にとっては、「富士山の日」にある種のうさんくささを感じて「何を言ってるんだか」と冷めた気持ちになるのではないかと思うのです。

 例を一つ挙げましょう。駿河湾一帯の重要港湾は、静岡県の直轄です。我が富士市の田子の浦港、静岡市の清水港があります。高度経済成長、「全総」の時代、白砂青松の海岸を潰して掘りこみ式港湾を作り、徳川家康公や我が母校の創設者、西園寺公望卿が愛した「興津」の海岸をズタズタにしてコンテナバース、「興津埠頭」をこしらえ、「三保の松原」の豪快に切り開いて港湾に仕立てた張本人、それが
「静岡県」(および静岡選出の保守系代議士達)だということを忘れてはいけません。しかも、和歌よりも「ヘドロ」で有名にしてしまった工業港の建設を推進したのは、富士市出身の製紙工場の経営者一族の知事だったりします。

 ことあるたびに悔しがるのですが、
「もし、田子の浦の高潮対策が完璧で、田子の浦港を作っていなかったら、今頃この辺りは“湘南”に負けないくらいのリゾートになっていたのに!」と言っています(だって、海岸の林の中には、昭和天皇が皇太子時代に、イギリスで覚えた「ゴルフ」をなされたという記念碑まであったりしますからね)。

  その当時、どんな反対運動があって、それがどう潰されたのか(かなり荒っぽかったみたいですが)は、書物で読むことしかできませんが、
静岡空港の立ち木の無断伐採で知事が頭を下げているところを見たりすると、「なんか、駿府のお城の人々の発想はあまり変わっていないな」と、出城で禄を食む身分ながら、生意気にも思ったりしています。

 散々国民をひどい目にあわせてきた政府から、「今日は日本国の記念日だから祝え!」と言われて
「はぁーん?」と言う人が出てくるように、散々富士山の景観を台無しにし、富士山そのものをひどい目にあわせてきた(ひどい目にあわされているのを黙認してきた・・・・軍の演習場、産廃不法投棄、煙突の大気汚染と景観破壊、地下水くみ上げの規制遅れによる塩水化などなど)の役人たちに、「さあ、富士山を崇めよ!」「さあ、富士山を愛する教育をせよ!」と言われてみても、やっぱり「はぁーん?」という人が出てくる。これは至極当然な反応だと思いますし、そうした「素朴な反対派」の声をしっかり汲み上げることは、成熟した社会、よりよい行政につながるんじゃないかと思います。

・・・・と、何か選挙演説みたくなってしまいましたが、私自身は「富士山の日」自体は賛成です(休みが増えるし(笑))。でも、猫も杓子も大政翼賛会的に
「富士山は素晴らしい!」と、たたえるようなイベントを目白押しにする必要はないと思います。むしろ、そういうお祭り騒ぎのようなイベントの陰で、明治に「静岡県」が出来て以来、我々のご先祖達は、白装束を着て身を清めて登ってきた「聖なる山」をいかにして「レジャー登山のメッカ」に変貌させ、「豊穣なる恵み」だったはずの水や森林をいかにして「工業資源」に変貌させて、使い捨ててきたのかをしみじみと考える日にしてもいいのではないかと思います。

 そして、いつか訪れるであろう
「富士の怒り=噴火」(もう300年分のマグマはたまっています。「東海地震」が起きたら、連動して噴火するという説も濃厚です。具体的なイメージで見たい方は、映画「日本沈没」(新しいほう)をどうぞ)に備えて、いっそ、9月1日、1月17日に次ぐ、静岡県独自の「防災の日(特に火山)」にしてしまうというのも、冗談でなく検討してみてはいかがでしょうか。山麓には何十個もの噴火口があるわけで、これだけ高い山なのですから、「次」は、いつか間違いなく来ます。

 溶岩が押し寄せるというようなことがなくても、ミクロンサイズの火山灰一つで銀行のATMとか、PCサーバーなどがすっ飛ぶと言われています。噴火はある程度予知がきき、避難も可能です。噴火に対応する訓練を、ある程度本気でやっておいた方がいいように思います。「ニッパチ」といって、学校もお店も、2月と8月はどこも結構暇ですし(?)ね。

 身内批判的な事を書いてしまいましたが、
「富士の麓の民は、お上の慈悲深い提案に対して、結構シラけている」ことを念頭に、府中(“静岡”の前の地名。「不忠」につながるから明治政府にいちゃもんつけられないように、やめたんだとか。)の殿様、上士様達はよくよくご検討遊ばされるよう、お願い申しあげ奉りたく存じます。

【リンク】
 鞆ノ浦を田子の浦にするなかれ!(いとちり2009年2月15日)
 
http://itochiriback.seesaa.net/article/137306223.html
 田子の浦へのぼやき。鞆ノ浦も、予断を許さない状況が続いています。

 「いちご処・静岡」(月刊地理:2006年10月号)
 
http://itochiriback.seesaa.net/article/137306015.html

 
真冬のイチゴは富士山の恵み。もぎたてフレッシュ!紅ほっぺ!”
 
日曜の朝、娘達が楽しみにしていた「フレッシュ!プリキュア」が終わってしまいましたね。
 このフレーズ、わかる方にはわかると思います。農協の方とか、使ってくれないかな・・・・・(笑)。

果肉の中まで赤い「紅ほっぺ」
静岡県農林試験場の皆様、その節はお世話になりました。
posted by いとちり at 21:58| Comment(0) | TrackBack(0) | City&Mt.富士 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月31日

第1回「フジパク」下見in富士本町

 土曜の昼に、久々に家族で会食する機会があり、帰りにちょっと自由時間をもらって地元の商店街をぶらぶら一周させてもらいました。

 2月末に
「フジパク」というイベントでこの商店街をガイドするので、ひたすらに「ネタ」探し。かつてはにぎわいを見せていたこの商店街も、ご多分に洩れずシャッターを閉めたままの店が多く、昼よりも夜の店の方が元気な状態
「うーん、これはつらいなぁ。何を語ればよいのやら・・・・」と思いを巡らせながら小一時間ぐるぐる歩き回っていました。

 自分の同級生には、商売人の子供が結構います。修行を終えて故郷に帰って来て店を継いだ若旦那達は、従業員から「専務!」「常務!」「副社長!」などと呼ばれ、私のような教員とは全く別次元の、「経営者としての悩み」を抱えていたりして、色々と話を聞くのは面白い(失礼!)のですが、彼らが持っている「街の今後への危機感」は相当なものがあります。「フジパク」は、そうした若手の経営者の皆さんが発案して仕掛けたイベントであり、案内には「ゆるーく」という文字が躍っていますが、それにかける思いはかなり熱いものがあります。
 
 それゆえ、半分「廃墟」のようになってしまった商店街にどうやって魅力を見つけ、なおかつ問題の根っこをリアルに見てもらうか。教師(および元教師)のガイドにありがちな「お勉強臭」「しゃべり過ぎ」をいかにおさえて「ゆるさ」を出すか、しばらく商店街を歩くたびに悩むことになりそうです。

 ボランティアとはいえ、非常に難しい仕事です。授業の方が数倍ラクかも(笑)。もちろん、生徒諸君の参加も歓迎します。

 考えてみると、この消費不況下に商店街でしっかり商売をやっている店は、何かしらの理由があります。商売とは別のところで収入がある(年金、不動産賃貸、家族が勤め人)というところもありますが、
「なるほど、これはすごいな」と思えるような独自のビジネスを展開しているお店も何店か知っていますし、実は商品を全国に展開をしているような店もあります。そうしたお店や景色をチョイスして、ストーリーを紡ぎながら「いとちり式 富士本町商店街探訪ツアー」を組み立てられればと思っています。
 
 商店主の皆様、来月は、変な教師がひょいと現れて色々と聞きに来ますが、
こういうことなのでご勘弁くださいませ。2月は常に頭のどこかで「富士本町」がよぎる月になりそうです。

【リンク】

 「フジパク」のページ
 
http://fujipaku.i-ra.jp/e179848.html
 
「予告」が載りました。だいぶ前から引き受けていたのですが、とうとう「カウントダウン開始」という感じです。ひー・・・・・!
 
 「え!?ヨーカドー富士店が閉店」(いとちり2009年6月29日)
http://itochiriback.seesaa.net/article/137306292.html

→公式サイトも「閉店」してます。
http://www.itoyokado.co.jp/blog/056/special_events.html

 「富士の行方は?それぞれの“ヨーカドー後”」
 (いとちり2009年6月30日)
http://itochiriback.seesaa.net/article/137306295.html
 
 富士駅前の二大「元・ショッピングセンター」、「ヨーカドー」と「パピー」。なんか「負の遺産」という感じがして痛々しいです。特にヨーカドーは、「セブンアンドアイ」マークの看板が真っ白く塗られていて、寂しい限り。そういえば、JALを退役になった「ジャンボジェット」が、売り手がつくまで真っ白に塗られて駐機場で眠っている写真が新聞に出てましたね。
 帯広店のように「買い手もつかず、取り壊しもせずに10年たなざらし」なんてことにならなければいいんですが・・・・・。
posted by いとちり at 21:52| Comment(0) | TrackBack(0) | City&Mt.富士 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月25日

フジパク

 富士の街を見て体験して楽しもうというプロジェクト、「フジパク」。
 http://fujipaku.i-ra.jp/

 学生時代、観光地理学の調査で大変お世話になった大分県別府市で生まれた運動の流れをくみます(あちらは“オンパク”)。
https://www.onpaku.jp/com/

 その「フジパク」で、月に一回行われている「まちなか探検隊」というイベントのガイドをすることになりました。

  場所は、我が地元of地元、富士本町・・・・・!。
  うーんこの街をじっくり調べるのは、小学校の
「お店屋さん探検」以来かもしれない。あの頃の商店街はすごかったなぁ・・・・と、感傷に浸っている場合ではありません。富士駅は、今年開業101年目。うちの母校はそれよりもウン十年古い。ご先祖様、鉄道小僧だった私に、「社会科のイロハ」を叩き込んで下さった担任の先生の名に恥じないよう、地理テイスト満載でご案内したいと思います。
 
日程は以下の通りです。

 2010年2月28日(日曜日)午前10時より1時間半程度
 場所 富士市交流プラザ(西図書館)駐車場集合
 (JR富士駅から徒歩5分)
 ※ちなみに、地図の駅前にどどんとそびえるイトーヨーカドーは、先日、惜しま 
  れつつも閉店してしまいました(そのあたりの経緯もガイドするつもりで 
  す)。


 事前申し込み等はなしです。「じもてぃー」な方だけでなく、「ビジター」の方でも楽しめる内容にしようと思っています。「富士なんて、見るもんあんのかいな?」という方も、「富士市?Where?」という方も是非どうぞ。

【リンク】
 
勤務校のそばにある、こちらの商店街の方が詳しかったりして、取材してこんな記事を書いたことがあります。 
 「吉原本町―人を育てる宿場町」
(月刊:地理2007年11月号 特集「元気な商店街」)
posted by いとちり at 23:22| Comment(0) | TrackBack(1) | City&Mt.富士 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月02日

「鞆の浦判決」に思う

なんとか「田子ノ浦」化を逃れた(かもしれない)鞆の浦。

こちらの記事の閲覧が急上昇中です。

鞆の浦を田子ノ浦にするなかれ(いとちり2009年2月15日)。

http://www.itochiri.jp/article/13397630.html

「ポニョ」の里が守られて良かったね。めでたしめでたしとは行かないのがこの手の問題の難しいところ。「ポニョ」は、うちの子供たちの間でヘビーローテーションなので(DVDに加えて「絵本」があるんですよ。ご存知ですか?読むと長いんだこれが・・・・)各場面をそらんじている私としては、映画で語られた「一見きれいだけど、実は大変な港町」の問題をどうしていくか、これからが大変だなと思います。

 鞆の浦がいかに大変なことになっているのか、「だから橋が必要なんだ」という結論には同意できないにしても、綿密な調査によって書かれた48ページに及ぶこの福山市の報告書はよくまとまっていて、この問題の教科書として最適です。市の職員さんか、コンサル会社かわかりませんが、すごくいい仕事をされていると思います(反対派の「トンネル計画」を事あるごとにけなしているのはちょっといただけませんが・・・・・。)

鞆地区道路港湾整備事業 〜期待される整備効果〜

http://www.city.fukuyama.hiroshima.jp/tomo-machidukuri/panf_seibikouka.pdf

福山市が一般向けに作った鞆の浦整備計画のサイトはこちらです。

http://www.city.fukuyama.hiroshima.jp/tomo-machidukuri/index.html

ものすごく狭い道を車が行きかう「鞆」の街は、歩くにはかなりしんどいところです。

観光客ですらそう思うのですから、毎日ここで暮らしている人、特に小さな子供を持つ親御さんはおちおち子供を外で遊ばせることもできないと思います。

とりあえず、「車が増えたから道を広げよう」「道がなければ新たに作ろう」という発想は禁じ手になりました。「車を使わなくても成り立つ街」にするのがベストなのですが、小さなコミュニティの中で全ての生活が完結する」(昔はそうだったのでしょうが)のは相当大変だと思われます。

 ともあれ、「田子ノ浦・・・」で述べたように、今の住民の利益になるからといって景観を大改造して、子孫が喜ぶかと言うとそれは全く別物です。見るも無残に変えられてしまった各地の名所の分まで、景観を守って欲しいものです。

 

posted by いとちり at 18:26| Comment(0) | TrackBack(0) | City&Mt.富士 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする