朝からあいにくの雨でしたが、何とか任務を果たすことが出来ました。
毎月最終日曜日は、商店街の市の日であり、今日はJRのさわやかウォーキングの日であったこともあり(旧・身延線を歩いて、この日限りの「本市場駅の硬券入場券」が発行されたとか)。吉原本町では、「つけナポリタンまつり」もあったとかで、イベント目白押しの日だったようです。
参加していただいた皆様、どうもありがとうございました。とても良い勉強になりました。
ガイド役なので、何も写真を撮っていませんので、細かいことはまた写真を頂いた後で振りかえります。色々と感じたことがあり、書きだしては見たものの、あんまりうまくまとまりませんので、また書きます。とりあえず、思ったこと、「こりゃ、二周目、三週目が要りますな」ということ。商店街は深いです。
とはいえ、商店街は難しいことを論ずる前に、やっぱり買い物をするところです。お金を使ってなんぼ、
欲しいものを伝えて、一言二言言葉を交わしてなんぼ。コーヒーを飲んだり、ご飯を食べたりするところです。「地域活性化」「まちづくり」「集客戦略」と、大所高所の議論も結構ですが、「地元の人間が、地元の店を買い支える」「チェーン店だけでなく、地元に根差した個人商店をひいきにする」だけで、状況はだいぶ変わっていくのではないかなと思いました。流行りの言葉をもじるならば、「地販地消」、フジパクのようなフィールドワークイベントは、「地観自考」といったところでしょうか。
黙っていても回転していた時代が遠く過ぎ去り、何らかの形でお客さんを引っ張ってこないと、街の「核」が大変なことになってしまうことを、改めて痛感しました。
解体をするのか単なる防犯か、フェンスで囲まれてしまったヨーカドーや、5階を除いてスカスカの「パピー」は、やっぱり痛々しいですよね。
何かしらの「仕掛け」が動きつつあるなということが実感できました。
街の活性化の仕掛けに、「地理」や「地図」のノウハウが、またお役にたてればと思います。
2010年02月28日
フジパク無事終了
2010年02月24日
富士駅前を考える(2)「駅前市場」という発想
先月、惜しまれつつも33年の歴史に幕を下ろした「イトーヨーカドー富士店」。「いとちり」では、撤退話がでた時から色々とリサーチしてまいりました。
それぞれの「ヨーカドー後」(2009年6月30日)
ところで、ヨーカドーが出来る前、あそこは何だったかご存知ですか?
くどいようですが、2月28日にお配りする、古い住宅地図を見るとそれがわかります。あそこはもともと「農協の集荷場」だったんですね。引き込み線をひいて、今はない「荷物列車」の車両なんかを横付けして、特産の「富士梨」なんかを景気よく出荷していたそうです。そしてそのそばには農協の直売所、更に国鉄の直営店などがあり、ちょっとした「駅前市場」を形成していたようです。
、「駅前 市場」で検索してみました。お、なんかイメージが湧いてきました。
●鳥取駅前食品市場
http://www.ekimaeichiba.net/
●広島駅前市場探検隊
http://www.city.hiroshima.jp/kikaku/kikaku/vi/ekimae/top.htm
●津軽弘前駅前市場
http://marugoto.exblog.jp/4352974/
観光地としてすっかり有名な、これらも「駅前市場」ですよね。北海道にいたころはよく行きました。
●二条市場(札幌)
http://www.welcome.city.sapporo.jp/sites/nijoichba.html
●和商市場(釧路)
http://www.washoichiba.com/
明治期に鉄道を敷いた際、蒸気機関車が街中を走られると困るのと、用地買収をしやすいことから、鉄道や駅はその街の「はずれ」に作られました。だだっ広い空き地に鉄道を通し、建設に携わった労働者達や旅人の胃袋を満たすべく、「駅前の市場」は、自然発生的に出来たと思われますし、街中の老舗と比べると、自由に誰でも商売に参画できる雰囲気があったのではないでしょうか。それは戦後の焼け野原の中で自然発生的に出来た「闇市」もまた同様です。
「駅前=中心地=活性化しなければならない」という発想からちょっと離れてみましょう。もともと町はずれの何にもない場所だった駅前。ほんの数十年の間、賑やかになったものの、限界が見えた・・・・ならばもう一度リセット(更地に戻す)して、やる気とアイデアはあるけど開店資金がない人や、他の仕事(特に農業)と掛け持ちで何かを売りたい人が集まれる場所を作る・・・・「駅前の一等地でそんなこと、もったいない」と考えるのではなく、「駅前」というところはもともとそういうところだったんだという発想です。人為的に「活性化させる」のではなく、商売をしやすいので売り手が集まり、面白いから買い手が集まり、「結果として賑わっている」ようになれば御の字です。少なくとも、次の借り手や買い手が見つかるまで何年も「巨大な空き店舗」を放置しておくよりはよほど有効な活用法だと思いますが、地主の農協さん、いかがでしょうか?。ちなみに、「帯広のヨーカドー」は、10年以上空き店舗のまま。本州の大手スーパーに進出の打診をしたところ10億円単位の改装・修繕費がかかるという見積もり結果が出てあえなく退散されてしまったとか。
何も新しいことをしようというわけではありません。この街に、大資本の大型店が進出する前の風景をもう一度再現してみようということです。
必要なのは、だだっ広い広場とガレージのようなブース、「あとはどうぞお好きなように」という場所。農産物直売所でもいいでしょうし、「チャレンジショップ」が並ぶ「プチ商店街」でもいいでしょうし、「屋台村」でもいいと思います。商売の原点、「定期市」に戻る駅前。どうでしょうか?農協さん。
富士駅前を考える(1)映画が見たい!
まあ、「パピーが閉店」だってことで、テナントをすべて締め出した際、契約の関係で生き残り、「5階は営業中!」という看板を引っ提げて、よくぞここまで頑張ってくれましたという感じですが、いよいよ富士市も再び「No スクリーン シティ」になってしまうわけです。
ちなみに、2月28日に、ご参加の皆様にお配りする「ゼンリンの住宅地図1974年バージョン」(図書館で「書庫にあるので一番古いの下さい」と言ったらこれが出てきました)によると、富士本町だけで映画館が3つ(キネマ、若草劇場、中央劇場)、この前あいさつ回りをしたときに聞いた話では、さらに1つ(タクシー会社が跡地をそのまま車庫に転用していたそうです。地元の同年代の方はわかると思いますが、「洞窟のような車庫」、覚えてますか?あれ、映画館の椅子を取っ払って作ったんだそうです。すみませんローカルで)。
嘆いてばっかりもいられません。常設の映画館が興業として成り立たなくなった街ではどうやって映画を見ているのか・・・・・。調べればあるものですね。
キーワードは「コミュニティ・シネマ」です。
以下、リンクを追いながら見てみます。
●一般社団法人 コミュニティ・シネマセンター
http://www.jc3.jp/index.html
2009年4月に発足した、コミュニティ・シネマ(地域の有志や自治体が自主
上映する映画イベント)の元締め的存在です。映画の貸し出し、上映者の
養成講座などを行っています。全国のコミュニティシネマ団体、地方の映画
祭へのリンクが豊富です。
●シネテークたかさき
http://takasaki-cc.jp/
コミュニティシネマの草分け的存在。NPO法人が運営するミニシアター。
「通」好みの作品を選んでます。
●シアターボイス北見
http://www.cinema-kitami.com/
とにかくサイトがかっこいいです。北見はワーナーマイカルもありますから、うまく棲み分けてますね。
●こうちコミュニティシネマ
http://jedirock1976.blog.ocn.ne.jp/kccinema/
ブログで手作り感があります。
映画で商店街を盛り上げようという感じがいいです。
●NPO法人松本シネマセレクト
http://www.cinema-select.com/index.html
常設館を持たずに、文化会館や美術館などで上映を行っています。
さて、市民団体や労働組合などによる「自主上映会」と、コミュニティシネマの違いは何か。明確な定義はされていないようですが、色々と見た結果、
(1)一回こっきりのイベントではなく、連続して映画を上映し続けている。
(2)商業映画館並みのお金を取って、ビジネスとして成り立つようにして
いる。
この2点に集約されるようです。
いくらNPO(非営利)法人とはいえ、職員の給料も払えないようでは続きっこありませんし、フィルムを提供する方だって製作費がかかっているのですから、「興業収入」がなければ監督も映画会社も商売あがったりで次の映画が取れません。運営する人は、かなりの「映画通」でなければいけませんし、興業ビジネスにも精通していなければなりませんから、「よそでやってるから、うちの街でも会館借りてやってみよう」と、気安く手を出せるようなものでもないような気もします。「自主上映」で相当に場数を踏んで、「これなら行ける」と思ったところで初めて独り立ちというところでしょう。
とはいえ、自分の街から映画の灯が消えてしまうのはとてもとても寂しいことです。昔、京都にいたころ「朝日会館」という、これまたマニアックな外国映画をたっぷり見せてくれる映画館がありまして(ここは商業映画館)、ここで見た「ライフイズビューティフル」(イタリア映画の超傑作)や、「ブラス!」(イギリス映画の大大傑作。「これを見なて泣けない人は、はヨーロッパの工業地理を語るべからず」というくらいによい)は、ストーリーをそらんじられるくらいに見まくりました。
この街は、「ハコモノ」は立派なものが多く、上映しようと思えば椅子が柔らかいものだけでも4つか5つぐらい挙げることが出来ます。特に、富士本町に近い「西図書館の上のホール」あたりは使い勝手が良いのではないかと思います。とりあえず、かけられるのだったら、是非フルサウンドで「ブラス!」を見たいなあと・・・・・。傾きかかった産業都市のイメージが、我が街とだぶっていいかも・・・・(?)。
【更にリンク】
サールナートホール
http://www.sarnath-hall.jp/
静岡駅のすぐ近くにある、小規模単館系の映画を頻繁に上映するホール・・・なんですが、実は向かいの宝泰寺というお寺が経営する(でも外観はしゃれた洋館)多目的施設。こんなんがうちの街にもあるといいなあ・・・・・。
あ、3月6日から「カティンの森」をやるらしい。これは見に行かねば。
2010年02月22日
孤軍奮闘 ミクロネシアでGIS
JICAの「青年海外協力隊」で、ミクロネシア連邦に派遣されている川上さんのブログを興味深く読みました。
http://blog.goo.ne.jp/micro_jocv/e/535cd3d9bf00cc5139afc36aeef03e16
彼女は、ミクロネシア連邦の「ポンペイ州」というところにある環境NGOに派遣されていています。魚の生態系やサンゴ礁の保護地域の選定や研究を、アメリカやオーストラリアなどの研究者と共同で行う団体なのですが、調査に使ったデータが解析もされないまま放置されているのを憂い、GIS(地理情報システム)でせっせと料理されているそうです。
<本文より>
私の配属先からの要請はその置き去りにされたデータをGIS(地理情報システム)を用いて空間的な解析をすることです。CSPが単独で行ったプロジェクトのデータは2005年からたまっており、その解析を行うのが最優先だと思いました。
本来私達ボランティアは「釣った魚を相手に与えるのではない。魚の釣り方を教えるのだ。」と言われるように、なんでも自分でこなし、出来上がったものを任国の人々に与えるのではなく、一緒に活動をし、その中で任国の人々にもそういう方法があるのだと知ってもらうために派遣されています。
しかし、言葉でGISの利用価値を話してもなかなかピンとこない、さらにそれぞれに取り組んでいる仕事がすでにあり、そこにプラスGISなんていう分けのわからない仕事は入れたくないようで、一緒に活動するということが大変難しい状況です。
同じような話が、日本のあちこちで聞こえてきそうです。
せっかく専門家が学術調査をしても、その成果やデータを地元の活動に生かせなければ何の意味もないわけですし、その生かし方は上から与えられるのではなく、自分達がニーズに合わせて調達および加工していかなければなりません。
我が地元の「富士山」も、実に色々な観測や研究が行われてはいるものの、それを地域の活動や教材として活用されているかというと、「うーん」という感じです。私のような人間が触媒役をしなければならないにも関わらず、まだまだだなあという気がします。
南の島で孤軍奮闘する青年の成果を楽しみにしたいと思います。
【リンク】
彼女が派遣されているNGOです。
The Conservation Society of Pohnpei
http://www.serehd.org/Home.html
ミクロネシアの地図を貼っておきます(↓)
大きな地図で見る
2010年02月11日
「体育館の立地」考
今日は、たまたま2会場で試合があり、顧問も自分1人だけだったので、市民体育館と、第二会場の高校との間を片道30分、往復1時間かけて歩きました。ちょうど線路を挟んでこの市の中心部を縦断する形になります。今、授業でやっている都市の同心円モデルを頭に浮かべながら歩いてみると、なかなかにその通り。「やるなあ、バージェスさん」と思いながら、しみじみ観察してみました。
某市の都市モデルを簡単に描いてみました。授業で使えるかもしれないので、教材ストックとして置いておきます。まあ、ピンとくる人は「ああ、あそこに行ったのね」とわかると思いますが・・・・実は城下町なんですよ。城の建物は跡かたも残ってませんけどね。
開会式での役員さんからの注意。「近隣の住民から苦情が来ているので、体育館の前で、大きな声で談笑しないこと!!!」・・・・うーん、きっとこの体育館が建ったころは、周りは町工場ばかりで、高校生が叫ぼうが何しようが、それ以上に音が出るから苦情も何もなかったろうになあ・・・・。と思いながら聞いていました。今はそれらが売り払われた後にできたマンションや住宅に囲まれた中に、この体育館はあります。「苦情に押されて、移転も近いかなあ。便利なんだけどなあ・・・」と思ったりもします。
体育館や球場などのスポーツ施設や学校(高校や大学)が、周辺の宅地化の波に押されてうんと郊外に移転するケースが増えているように思います。
「スポーツ立国」とか「スポーツ立県」とか、掛け声は勇ましいのですが、「車に頼らなければ、競技一つできない(観に行けない)」「子どもにスポーツをやらせたければ、親の送り迎えが必須」なんてのも寂しいですね。
個人的には、スポーツはするより観る方が好きなので(特に、スタジアムで一杯やりながら観るなんてのは最高によろしいんですが)、何とかならないものかなあと思いました。静岡県内の施設は、立派なものは多いんですが、なにぶん車がないと不便すぎるところが多いように思います。Jリーグとか、あんな山の中でやらずにもっと街中でやれるようにしてもらえるとありがたいんですけど・・・・。
【リンク】
体育館と言えば、静岡県と静岡市が綱引きをしている
「県立体育館移転問題」があります。静岡新聞のこちらのコラムに詳しいです。ついでに「県立図書館」もそろそろ古いので、もうちょっと便利なところに移してもらえるとありがたいです。 http://www.shizuokaonline.com/column_danmaku/2009/20090120104555.htm