恒例となりました、「授業開きに野外巡検」の2025年版の資料をアップします。
今年のテーマは「聖地」巡礼。
学校の側の木ノ宮神社は、意外と新しい(明治期に伊豆から勧請)神社なんですが、なぜわざわざここに神社を建てたのか、それも富士山の代名詞である浅間神社などではなく、東伊豆の木の宮様なのか、あと、神社ができる前からあったと思われる「四等三角点」が果たした役割とは?仮説(一応根拠のある自説)を踏まえて「地図から類推する楽しみ」を堪能してもらっています。ワークシートを添付します。
謎かけしておいて解答もなしというのもなんなので、かいつまんで説明しますと・・・。
(1)木ノ宮神社の丘は、源平の合戦の時代、源頼朝が配下の軍勢の軍事訓練(巻狩り)をする際の展望台だった
(2)頼朝に協力した地元の人達(勢子)によって、鎌倉時代には頼朝を祀る神社ができて賑わったが、北条の代になるとうち捨てられ、長らく無人の丘だった。
(3)明治になり、地元の衆が再び神社として復活させて、山火事防止に御利益のある河津木ノ宮神社を招聘した。
・・・と、ここまでが看板の縁起に書かれているお話。
ここに旧版地形図を含めて補足をしますと
(4)木ノ宮付近は、扇状地の中腹にありながら、各地に現役の水道の水源井があるほどに水が豊かな土地である
(5)木ノ宮神社の丘に沿って走る街道(十里木街道)の尾根筋を境に、林業や茶畑の集落と、水田の集落に分かれる
(6)山側の集落は、もともとの地場産業に加えて、明治維新後に職を失った幕臣達が入植して開墾地が多い(「次郎長開墾」などが有名)
⇒山火事防止に加えて、神の加護を祈る景気づけの意味もあったのでは?
⇒水が豊かな水源地に近い。林地が遠くまで見渡せて山火事の監視にも有為な地形。
高校地理が『全員必修」になって4年目となります。同じ話をしても、文系さんと理系さんで、「ツボ」が違って面白いです。
「頼朝」とか、「次郎長」とかでビンビン反応するのが文系日本史族。「富士川の合戦」前に、坂東のツワモノどもがこ眼下に集結したのか・・・と喜んでくれますし、理系さんには「三角点は何のために置かれたのか?」という話と、でっかい三角関数(三角測量)の話は鉄板です。文理と言っても選択してクラス分けして日も浅いのですが、日も浅いからこそアイデンティティは強いのではないかとも思います。好意的な感想をたくさん頂いています。
「フィールドワークに行こうにも、時間もないしネタもない」なんて話をよく聞きますが、このルートはゆっくり行って帰ってきて30〜40分、教室に戻って「まとめ」を書いてもらうこともできるくらいの時間で回れます。また、どんな場所にも歴史があり、地名があり、景色がありますから、それらをいかに組み合わせて「一品」に仕立てるかは、料理人の腕の見せ所だと思います。もっとも、いきなりうまく行くことはないでしょうし、クラスの雰囲気、天候などでもまた違ってきますので、春先だけでなくまた「新ネタ」を用意して持ち込んでみることも必要かと思います(一応、現任校ではA・Bコースを持ってます)。
あと、資料にQRコードをつけて、地理院地図や今昔マップとリンクをつけるととてもよいです。
それを使った「問い」をどうするか、頭のひねりどころではありますが。
外を歩くにはいい季節になってきました。
ぜひ、「地理の外周コース」を作ってみて下さい。
レジュメです。