2014年06月04日

そうか、「ジオパーク」は「地理パーク」でいいんだ

  この4月から、「富士山版ジオパーク研究校」(地域学研究指定校)になった勤務校。今日は、文化祭の代休を使って山梨から富士、長泉町までぐるっとフィールドワーク(および講演のお願い)に歩いてきました。

 まず伺ったのが、NPO法人「富士山クラブ」さんの事務所。閉校になった小学校の木造校舎を使った建物です。以前、アメリカの方と一緒に来たことがありますが、この日は午後からネパールのご一行(エベレストと姉妹山提携を結びました)が来られるとのこと。「世界の富士山」であり、「抱える共通の悩み」について伺いました。

 青木事務局長さんと一緒に次に伺ったのが、本栖湖畔のレストラン、「松風」さん。ここのご主人は、富士山麓のジビエ料理の草分け的存在で、狩猟のネットワークから食肉処理場の立ち上げ、調理まで一手に手掛けるキーパーソンです。

 増えすぎてしまった鹿や猪を「駆除」するにあたって、処理法も流通ルートも確立していなかった頃は、1頭当たりいくらの補助金をもらうために撃ったそばから証拠となる歯や尾を切り取って後は埋めていた(静岡県側では今もそうしているんだそうです)ところを、町委託の処理場を立ち上げ(新設はほとんど前例がなく、保健所や厚労省との綱引きがとてつもなく大変だったそうです)、平成20年のオープン以来、黒字をキープ。ただ、ご主人曰く、「あくまで駆除の副産物としての肉。事業拡大のために必要以上に殺したり、エゾシカのように牧場で飼うようなことはしない。ここに食べに来られる人の分だけ作り、完全なる地産地消で行く」とのこと。いただいたカレーセットのボリュームと値段、そして味に感激でした。
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  一旦富士に戻り、車を降りて夕方からは長泉町で行われた「伊豆ジオパーク講演会」へ。静岡大学の小山教授の講演です。昨年、伊豆ジオパークに長泉町が加盟したことにちなんで、「ジオパーク」とは何か、どんな方向を目指していくのかについて、示唆に富んだ講演でした。

 先生はまず、マスコミ等で「ジオパーク=地質遺産」という誤解が蔓延していることを指摘。同じユネスコの傘下において、「世界遺産」と「ジオパーク」の違いについてわかりやすく説明されました。

 世界遺産は、基本的に保存(開発や変化をさせない)することが大前提であるのに対し、ジオパークは
利用し、交流することを前提としていること、単に珍しい地形や地質を愛でるのではなく、変化に富んだ大地の特性を生かしつつ、その上に暮らす人間の知恵や歴史、文化、時には職人芸などの無形文化財をも「ジオスポット」として活用し、地域を活性化させていく事をユネスコが応援するものであると定義されました。「ジオパーク教育」「ジオガイド」関係のサイト等を見ていると、地学(あるいは自然地理)の題材じゃなければだめなのかな?と思っていたのですが、今日の講演を聴いて「なんだ、地理でいいんだ」とお墨付きをいただいたようで、安堵と可能性が見えてきました。

 何気なく見過ごしている景色は、ある一定の「文法」や「見方」がわかっていると、格段に面白くなるものです。また、土地の歴史を知ったり、古い地図を片手に現実の世界と見比べてみることで思わぬ発見もありますし、今日のように、ただご飯を食べるのではなく、人から紹介していただいてお話を聴くことで、地域の魅力が格段に見えてくることがあります。そうした「地域の魅力」こそが「ジオ」なのであり、理系ティックに切ろうが文系ティックに切ろうが、見る人訪れる人と地元の人が楽しめればよいのです。

 私自身、「ジオパーク教育」を広い意味での「キャリア教育」として捉えています。地域に根差し、創意工夫を持って仕事をしている方、創り出している方の経験談を生徒や教員にぶつけることで、地域の魅力を再発見し、「そこに根差して働く価値のある場所」「帰ってきてもいいなと思える場所」であることを認識してもらおうと思っています。
  NPOの職員さんに猟師さん、一見、「珍しい仕事」の方ばかりお招きするようですが、お話を伺う限り、我々教員よりも数段高い視点で地域やこの国を俯瞰され、自分の考えで行政や地域と渡り合っている様子は是非多くの人に聴いてもらう価値があると再認識しました。
 もちろん、ただお呼びするだけではありません。ギブアンドテイクの関係で、お客さんのアテンドや、地域の防災教育のプランニングへの関与など、自分にできることは喜んでやらせてもらおうと考えています。

  いい勉強をした一日でした。夏から秋にかけて、全く新しい「富士山学習」のプログラムをスタートさせたいと思っています。


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2014年05月11日

魅惑の「商店街ポスター展」考

 久々に論考をしたいと思います。

 昨年から、電車で片道1時間以上かかる学校に転勤となり、朝夕2つの商店街を通って通勤しています。
一つは、生まれ育った街の商店街、もう一つは勤務先の学校のある街の商店街です。現在は、「御殿場線」になっていますが、かつては「東海道本線」の駅同士、どちらの駅もそれなりの古さを持っていて、開業当時には駅はなかった(地元の要請等で、明治半ば以後に開業=本来の集落の中心地とはちょっと離れている)というところで共通しています。

 どちらの商店街もご多分に漏れず「シャッター通り」化しつつあり、それなりに大変なのですが、それなりに頑張っています・・・・というか、こういう仕事をしていると、何とかして街を盛り上げようとか、地域と一体となって何とかしようとか、「社会問題」の一つとして捉えてしまいがちなんですが、もうちょっと肩ひじ張らずに、
楽にかまえてもいいのかなと思うようになりました。そのきっかけになったのが、大阪の商工会議所と大手広告会社、そして地元の商店街がタッグを組んだ「ポスター展」のサイトです。


既にあちこちの情報サイトで話題になっていますのでご存知の方もいらっしゃるかもしれませんが、商店街が抱える現状をありのままに受け止めて、笑い飛ばしてしまっているのがとても新鮮に見えます。
例えば・・・・・。
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これは、自分が授業で「商業」について扱う時に「シャッター街になっても、それでも開けることが出来ている店には、必ず理由がある。それを聞き出すのがまた楽しい」と言っているのですが、それに通じる名文句だと思います。
続いてこちら。
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人の死をからりとネタにしてしまう大胆さ。でも、高齢化社会を迎えるという事は、死が身近になっていく事でもあります。「孤独死」や「無縁社会」と言われる中で、同じ時間を共有してきた人たちのコミュニティの大切さを再確認できるポスターだと思います。
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あ、なるほど。商店街ってのは「物を売る・買う」だけのスペースなんじゃないだなという事,売上高じゃない所で維持されている面もあるんだなということを再確認できるポスター。経営を成り立たせていくのは大変だと思いますが、ご当人はもとより、息子さん、お孫さん世代の心意気が伝わってきます。

 というわけで、このポスター展にはまってしまったのでこの記事を書いているわけですが、改めて感じることは、商店街というのは、外の人間(特に若い衆)が考えている以上に深く、重厚な歴史を刻んでおり、
不利な条件の中で地に足付けて頑張っているお店にはそれなりの哲学というか、使命感というか時代感覚というか、それこそ「お子ちゃま」にはわからない底力があるように思えるのです。そういう空気を見事にすくい取り、イベントを仕掛けたり、ネットでムーブメントを起こしている業界関係者の方に深い敬意を払いたいと思います。

 さて、この面白いムーブメントをどう生かして行くべきなのか。何を教訓として学ぶべきか、商売柄、ついついそちらに頭がまわってしまいますが、関西で地理学をやってきた人間の経験からすると、まずこの「染みる一言」を引き出すのにものすごい時間とエネルギーがかかっていて、ポツリポツリと出てきた言葉の中からこれぞという言葉を引き出したという事は、10代の子にはわかってほしいところです。

 瞬間的に「ウケるー!」ポスターも、実は綿密な企画、対象者との信頼関係、そしてこのポスターが出た時にどんな反応が出るか(いい印象を持つ人ばかりとは限らない)を吟味してどんなやり取りの上で作られたのか、206点(!)ものポスターをまとめるのにどれだけの労力がかかっていているのか、なぜ大手広告会社はボランティア(という事になっている)で、損得勘定なしで受けたのか(実際は、企業にとっても大いに“得”になっていると思います・・・・大真面目に議論する事ではないかもしれませんが、何かをくみ取ってもらえたらと思います。

 機会があれば、これらのポスターが実際に飾られている商店街に行って「その後」を確認して、自分の地元の活性化のヒントをもらってこられればと思います。

この記事の写真は、以下から引用させて頂きました。


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2013年08月23日

「デジタル教科書」と「デジタル地図帳」

  明日から、地理教育学会(佐賀大学)に出かけます。自分の発表は、8月25日の午前中です。
  最近、こういう集まりに出るとよく聞かれるので、頭の整理に改めて書いておきます。


 
「あなたは、デジタル教科書に賛成ですか?反対ですか?」
 

  私は、反対です。大反対です。というか、問題の本質を何も分かっていない方々が、単に「珍しいから」「外国も盛んにやっているから」「学校の教育を替えられるから」という、非常に頓珍漢な議論をしていて、さらにそれにビジネスチャンスを見出したメーカーさんや教科書会社さんが乗っかっている構図が、どうにもこうにも違和感があるからです。

 この「業界」のカリスマとも言える、慶応大学の中村伊知哉先生が、ご自身のブログで「教育情報化八策」なるものを公開されました。先生には申し訳ないですが、問題の本質を(悪い意味で)ついているので、ちょっとサンドバックにさせていただきます。
http://ichiyanakamura.blogspot.jp/2013/08/blog-post_22.html

一つ一つ揚げ足をとっても何なので、まず、全体を見てみましょう。

(1)教育情報化タスクフォースの設置
(2)
デジタル教科書法」の策定
(3)教育情報化計画の前倒し
(4)デジタル教育システム標準化 
(5)
 推進地域の全国配置
(6)
スーパーデジタル教員の支援 
(7)
 デジタル創造教育の拡充
(8)
教育情報化の予算措置

どこかの政府機関の努力目標とさして変わりません。要は、いろいろな省庁や団体が「お金くれ」「法改正しろ」と言っているのを改めてまとめたに過ぎません。

で、特に「やれやれ」と思うのは、(5)と(6)です。

「研究指定校」とか、「スーパーなんとかスクール」とか、2000年代以後、文科省がよくやる方法です。限られた予算を重点配分して、特色ある学校を作って行こうというものなのでしょう。ただ、ことICTに関して言えば、こうした「重点開発」はことごとく失敗(ノウハウが普通の学校に浸透してない)ことを十分に反省するべきなのではないかと思います。

 学校の教材の選定や、教育の方法を、行政が一律に決めてトップダウンでやらせるというのはあまり好ましいことではありません。また、少数の(全国100校といっても、各県3、4校、100地域といっても、日本の市町村の総数からすれば微々たるものです)「特殊事例」をいくら積んだところで、それが面的に広がることはまずありません。

 乾燥地帯で農業をする時の定番の方法に、「センターピボット」という農法があります。Google Earthでアメリカの中西部や、サウジアラビアあたりを見ると、赤茶けた台地の上に、ピップエレキバンを並べたようなまんまるい畑が出てくるあれです。

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 地理関係の方には説明は要らないかと思いますが、あれはパイプで地下水を組み上げて、長いアームを巡回させてアームが届く範囲だけ水や肥料が行き届き、円運動に合わせて畑が丸くなります。
 丸い畑同士がつながることはありませんし、つなげることも念頭にありません。また、アームを回す動力源が(電気など)がなくなったり、組み上げる地下水が枯渇したら、畑はあっという間に荒地に戻ります。畑を広げるにはどうするか、ひたすら「次の井戸」を掘って、新たに設備を作るしかありません。

 今、大勢を占めている「デジタル教科書」普及論議は、まさにこの「センターピボット」です。重点的に「畑」にするところを決め、莫大な投資をしてネット回線や端末を用意する。しかしそれが隣の畑に面的な広がりを持って行く可能性はありませんし、そこで育った種子(成果)が、”普通の畑”に根付いていくことはまずないと思われます。いつまでたっても「先駆的な実践」の域を超えないのはなぜか?よく考えたうえで「八策」やらなんやらを見直すべきだと思います。

 古来、「灌漑」は、まず水源から水を引っ張ってくることでした。水を引きやすいところを探し、水路をつなぎます。一度つないでしまえば対して動力も要りません。上流から下流へ、ノウハウや知識がじわじわと伝わっていく、「棚田」のような発展が理想です。「重点校100校」や「スーパー教員」制度には、こうした「緩やかな広がり」が、全く期待できないのです。

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 機械を一切否定して、鍬鋤の農法にこだわれと言っているわけではありません
「モーターを使って水を汲み上げる」「情報」という肥料を教育という畑に行き渡らせて収穫を上げるという目的を達成するうえで、「一人一台タブレット」「拠点地域やリーダー教員を置く」といった手法はあまりにも非効率だと言いたいのです。そんなお金があるのなら、単純に、すべての学校に水路(=無線LANや高速回線)をひいたうえで、「普通教室に持ち込めるノートパソコン」を40台ぐらい用意したほうがよほど安上がりですし、通信会社に補助を出して、携帯電話経由のWifi接続サービスの「学校プラン」みたいなものを作ってもらったほうがよほど良いかとおもいます(各教育委員会の持つ、やたらに制限が多い上に不安定な専用サーバーよりも効率的ですし、ウイルス等の管理コストも下がります)。

 学会が行われる佐賀県では、一昨年から、「高校の新入生全員に、一人一台タブレットコンピューターを持たせる」(買ってもらう)ということで、インフラを整備してきました。3つの異なる端末を別々の学校で試す実験(3つ一緒に試すべきだったのではないかと思いますけど)を経た上で、来年度、全員にWindows8のタブレットをもたせます。・・・私が作っている「デジタル地図帳」のアプリがiPadでしか動かないから恨み節をいうわけではないですが、この発表を聞いたとき(今年の7月)、ちょっとがっかりしました。
 今のところ、そのWindows8で何をするのか、地理関係ではどんなことをやるのかという情報は全くわかりません。できれば、各学校に1、2台からでいいので、iPadを入れてもらい、「生徒のWindowsで作った地図を、iPadで持ち運ぶ」ような方法も考えて欲しいと思います。正直言って、フィールドワークにWindowsタブレットはまだまだ使えません。一方、iPadで動く廉価なGISソフトはほとんどありません。「iPadかWindowsか?」のセンターピボットではなく、両者を有機的につなぐような工夫を提案できればと思います。多くが所持している「Androidのスマホ」だって連動してもいいと思うのです。

 このように、いちいち「お上」になんでもおねだりするのではなく、市井の人々でできることは出来ると思います。また、「いかにお金を引っ張り出してくるか?」ではなくて、「いかにお金をかけずに広くき渡らせることができるのか?」という発想に欠けています。

  先進国にキャッチアップするために莫大な(かつ非効率な)お金をかけたとしても、せいぜい「追いついた」(相手はさらに先・・・?)ですが、最初から
「お金をかけずにここまでやり、広く行き渡らせる」ことができれば、「ああ、これならうちの国でもできるやん」ということで、知恵を求めに来る人も増えると思います。国力やら、取り戻すやら、いろいろと勇ましいことを言いつつ、無い袖を振りまくっている政権ですが、そろそろ分配(バラマキ)から脱して、知恵を絞って欲しいものだと思います。

 と、いうわけで、長々書きましたけど、多分、週末の学会でもこの言葉を何度か口にすると思います。

「デジタル地図帳は、いわゆるデジタル教科書とは、似て非なるものです!」

例によって“ほぼ無料”(端末代を除いては)、”砂利道な通信環境”という、公立学校的な環境の中で、ある程度使えそうなシステムができてまいりました。学会が終わったらまた資料をアップします。
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2013年05月06日

裾野での1ヶ月

  約1ヶ月のご無沙汰です。
  この春から、異動になり、静岡県立裾野高校の教諭として勤めています。
 
  担当は・・・地理と世界史と日本史と、現代社会と、その他諸々の学校特設科目。6種類、週20時間の持ちこまです。電車を使って片道1時間半の通勤(本が読めます!)となり、生活もガラリと変わりました。


 「総合高校に行きたい」「地理A(2単位もの)に真正面から取り組みたい」との希望表明制度を活かしての人事なので、希望通りではありますが、環境の違いに戸惑いまくった1ヶ月でした。
  

 転勤をきっかけに、「マイプロジェクタ」を購入し、「ノート×プレゼン」による“新いとちりメソッド”も模索中です。教材研究が半端ないですが、地理に限らず、すべての科目でIT,GISを使う現在進行形の実験をしています。

近隣の学校の先生方と、「勉強会」を復活させようといったお話や、地域のB級グルメとのコラボの話も早速伺いました。
 また、今春から日本学術会議の地理教育分科会の委員を拝命しました。地理の必修科目化に向けたロードマップや、GISの普及に関する政策について、現場の立場から意見を述べさせていただきます。

 とりあえず、目の前の授業と定期テストを何とかするのに精一杯の日々ですが、「裾野高校の伊藤智章」
をよろしくお願いします。
 写真は、勤務校近くの黄瀬川にある、「五龍の滝」です。
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2013年02月23日

「地学の春」・・・10年後の“地理”の姿?

  2011年、チュニジアの「ジャスミン革命」に端を発した「アラブの春」。それまで理不尽と思いつつも「変わりっこない」のものとして受け入れらいた秩序が一気に崩れ、抑圧されていた人々が立ち上がって新しい時代の到来が期待されました。・・・しかし、歓喜と熱狂もつかの間。各国は混迷と不安定な状況が続いています。

 2013年、新しい学習指導要領に移行します。理科の科目が大きく再編され、新たに「理科基礎」(物理基礎・化学基礎・生物基礎・地学基礎)が立ち上がり、これまでの2科目履修体制から3科目必修(もしくは「科学と人間」+1科目)、その後「発展科目」(従来の物化生地)を学習することになりました。

 これまでずっとマイナー中のマイナー科目の地位に甘んじてきた「地学」。3科目体制で、大慌てで開講準備をしている学校も多く、まさに
「地学の春」なのですが、手放しで喜べない状況があるようです。
 

例えば、こちらの記事。
新課程「地学」は、“新教科書なき入試”に!(旺文社教育情報センター 2012.9.3)
http://eic.obunsha.co.jp/viewpoint/20120901viewpoint

 新科目、「地学基礎」の方は教科書の制作と検定申請が出ている一方で、「発展」(旧来の通常科目)の「地学」を手がける出版社がゼロだったとのこと。このため、教科書は旧課程の「地学T」「地学U」を代用して使っても良いとのお達しが出たとのこと。ただ、センター試験はもとより、大学入試も対応する教科書がない中で作られるわけですから、受験生からますます敬遠される可能性はあります。

ただ、文科省自身は、教科書に関するQ&Aの中でこんなことを述べています。
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/kyoukasho/010301.htm




 文部科学省著作教科書
 高等学校の家庭,農業,工業,水産及び看護の教科書の一部や特別支援学校用の教科書については,その需要数が少なく民間による発行が期待できないことから,文部科学省において著作・編集された教科書が使用されています。

 

 市場原理の中で需要が少ないのならば、国が責任をもって自ら「改訂」した新しい指導要領に基づいた教科書を作ってしかるべきですし、「前例」もあるのですが、それを放棄してしまっています。

 せっかく「地学基礎」ができて、今まで以上に地学に触れるきっかけができたものの(中学校との接続の内容が多いようですが)、更に発展して学びたいと思っても教科書がない、センター試験をはじめ、大学入試がどうなるかわからない、教える側も「専門家」が非常に少ない中、「リスキーな」選択はさせたくないということで、選択者は非常に少なくなると思われます。
  現行の地学T、Uを履修して、理学部の地球惑星科学関連の学科に進む生徒が非常に少ない(多くが物理&化学受験)ですが、新課程以後、更に少なくなるのではないでしょうか?。
 
 
 

 もっとも、「新課程」の全容が明らかになってから随分時間が経過していますし、地学教育関係者(特に大学関係者)は問題点を察しながらも、「実質的な選択者が増えるのならば」と、ある程度妥協した面もあるのかもしれません。ただ、今後高校教育の現場で、「地学をフルコースで学び、大学で専攻したプロパーの先生」は更に減ると思われます。最初から「地学(発展)」を開講しない(しようという発想すら持たない)学校も多いでしょう。高校で学んでいないから教えたくない⇒最初から開講しない⇒ますます担い手が減るという「負のスパイラル」は続くのではないでしょうか。

 地理の教師の私がなぜこんなことをたらたら書くかといいますと、地学の立場は、
10年後の「地理」になってもおかしくない要素を多分にはらんでいるからです。既に、日本学術会議の提言を受けて、10年後に実施される“次の次の学習指導要領”での実施に向けて、必修の「地理基礎」「歴史基礎」の開設に向けた実証研究(モデル校指定と実践研究)が始まっています。実施となると、各2単位ずつ、必修となります。

 ただ問題は、現行の「地理A」および「地理B」の履修者が理系のセンター試験対策に偏りすぎていることです。理系にとって「社会科」(地歴・公民)は、負担が少なければそれに越したことはありませんし、理数系の履修強化のために、
「センター試験は地理or歴史基礎、プラス公民のどちらか点数の良い方」という流れが定着してしまったらどうなるでしょうか?さすがに「教科書発行社ゼロ」とまではいかないまでも、レギュラーの「地理」を履修する人は思い切り減る事は目に見えています。
 

 今、静岡県の「地理」の教員採用試験を受験する人が激減しています(逆に採用数は増えています)。
昨年(平成24年度採用:平成23年実施)の志願者は高校地理で18名、採用者3名、今年(平成25年度採用:平成24年実施)では、科目別の志願者は明らかにされていませんが、地歴全体で159名、採用は地理で3名です。

○教職員の採用情報(静岡県)

http://www.pref.shizuoka.jp/kyouiku/kk-060/saiyo/syokuin-saiyou.html
 

 自分が”教採受験生”だった頃(同年代は日本史・世界史・地理必修世代)は、地理だけで志願者が40名前後、採用は常に1名でした。団塊世代の退職や理系人気で地理への需要が高まっているにも関わらず、志願者は半分以下という事態が続いています。ちなみに、久々に採用が復活した「地学」は、11名の志願者で3名が合格(平成24年度)、平成25年度は1名が合格となっています。

 原因として、現行の課程でも、文系で最初から地理を履修させてもらえない学校が多くを占めていることが考えられます。高校の地歴の教員でも
「高校地理の授業を全く受けていない」若手は着実に増えています。10年後、中学校卒業以来初めて地理に触れる先生による「地理基礎」の授業と、有名無実化してしまった「地理(発展)」という悪夢のような自体が起こらないとも限らないのです。

 ともあれ、地学教育の世界では、専門でない先生が初めて地学基礎を教える場合にも対応させた教材作成とネットワーク作りが進んでいます。埼玉県の地学の先生の団体が「実習帳」を出版しました。3年がかりで議論を進めて作られたようです。

 ○埼玉から地学 地球惑星科学実習
http://saitamachigaku.jp/htdocs/index.php?page_id=0&block_id=172&active_action=journal_view_main_detail&key=joolck6t3-172&post_id=87&comment_flag=1

 数研出版は、動画素材などを織り込んだ地学基礎用の「指導用デジタル教科書」を販売しています。
http://www.chart.co.jp/stdb/rika/item/509.php

  このように、基礎科目を通じて再び裾野が広がることは喜ばしいことかもしれません。でも、それと引き換えに“中腹から山頂”が、改定前よりももろくなり、崩れ去って行くことへの有効な手立ては見いだせていないようです。

   「地学の春」の行く末は、10年後の地理の姿・・・・かもしれません。
 

 私たち高校教員は、「受験の準備」を手伝うためでも、「最低限の労力で高卒の単位を取らせる」ために日々教育をしているわけではありません。それぞれの専門分野において、先人が培ってきた知の体系と、最先端の科学の動向を、生徒の発達段階に合わせて分かりやすく咀嚼して伝え、文化を次の世代に受け渡す仕事をしています。あまりにも効率優先、データ優先になった今、歪みは一向に解消されませんが、地学の問題を「他山の石」と心得て、10年のうちに足元をしっかり固めなければとんでもないことになるのではないか?と思った次第です。
posted by いとちり at 22:03| Comment(0) | TrackBack(0) | いとちりのコンセプト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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