文部科学省は8月5日、2016年度から改定する次の学習指導要領(高校では、2022年度入学生から実施。現:小学校3年生の高校入学時より)の骨子を発表しました。既に新聞等で大きく取り上げられているように、世界史と日本史を融合した必修科目「近現代史」や、地理Aを再編成する(?)「地理総合」、公民科に設置される新必修科目「公共」の設置などが目玉になっています。当たり前といえば当たり前ですが、報道機関によって若干内容説明のニュアンスが違うので、当事者の方は是非文科省の発表資料にあたられることをお勧めします。
●教育課程部会 教育課程企画特別部会(第7期)(第13回) 配付資料
資料2−3が高校の教育課程の再編成案の資料です。
高校で「地理」が選択科目になり、20年以上が経過しました。必修に戻すべきだとか、「選択」と言っておきながら学校の都合で実質選択の余地がない(文系は日本史、理系は地理という形で)、高校(特に進学校の文系)でまともに「地理」を教える学校が減った結果、教員採用試験を地理で受験しようという志願者が激減している上、非常勤講師のなり手も少なく、高校地理教育界は深刻な後継者難に直面している等々、このブログでもいろいろ書いてまいりました。
「地理再必修化」の問題は、地理教育関係者にとって悲願でした。その先頭に立って問題提起をし、政策提言をして来た日本学術会議地理教育分科会の先生方の議論の末席に加えさせてもらっています。とうとう、やったという思いはひとしおだと思いますし、水を差す気はないのですが、どうも「2020年東京オリンピック招致決定!」の時に感じたような、なんともいえぬ違和感というか、不安感というか、だいじょうぶかなー?感が漂っているこの頃です。
感じている違和感は2つあります。
(1)A科目はどうなるんですか?本当になくなっちゃうんですか?
「地理A」や「日本史A」、「世界史A」は、B科目のハーフサイズ、2単位1年間を標準修了年限とする科目です。サイズはハーフでも中身は結構詰まっていまして、最近は、テレビや書籍でおなじみのジャーナリストさんや、国際問題について鋭い評論を書いている作家さんが、「ビジネスパーソンにとって世界史の知識は必須だ。高校世界史の、近現代を中心に書いた世界史A”の教科書を買って読むことを勧める」と公言するくらいです。これは地理にも言える事でありまして、高校地理で知っておいて欲しい知識やノウハウが上手にコンパクトにまとまっているなあという気がします。
「ハーフサイズ」とか言うとどうしてもマイナー科目のように見えますが、実はB科目よりも履修者は多いようです。文科省の調べ(これも中教審の審議会用の参考資料)によると、各科目ともBよりもAの方が履修者が多いことがわかります。
文部科学省(2015) 「高校教育における教科・科目の現状・課題と今後の在り方について(検討素案)(歴史教育・地理教育)」教育課程部会 教育課程企画特別部会(第7期)(第8回) 配付資料(資料2)
履修者が多い「A科目」が必修になるんだからいいんじゃないか?という考え方もあるかと思います。ただ、現行の提案では、A科目の再編成、つまり全く新しい科目が誕生し、それが必修科目になると考えています。
日本学術会議の提言では、地理の新科目と、日本史・世界史融合の新科目の設置をもとめていますが、その名称を「地理基礎」「歴史基礎」としてきました。必修科目(恐らく1年次)で地理なら地理の基本的な考え方やデータのまとめ方、もう少しいえばGISなどを使って「自分で地図を描いてみる」「自分で外に出て、景観や人の話から地域を診断してみる」トレーニングを積んだ上で、興味のある生徒は系統だてて理論や知識を吸収していくというイメージでいました。もう少し言うと、「基礎」の上に「専門」があり、その専門科目の尺(しゃく)は、長いものと短いものの両方があった方がより実効性が高いのではないか?と思うのです。
暑い日が続くので、水泳に例えてみましょう。小中学校で、プールや川で泳ぎを学んだ子供たち。高校で「海での泳ぎ方・魚や貝の捕まえ方」を学びます。これまでは一部の子しか海につれていけませんでしたが、今度は全員波打ち際で海の水に慣れ、海そのものについて色々な角度から学ぼうというわけです。それで「あー、面白かった」と陸に上がっていく生徒も多いのでしょうが、「遠泳をやりたいっす」とか、「ダイビングしたいっす」「プロの漁師になりたいっす」という海好きの子を集めて、「じゃあ、ボートに乗って、大海原に漕ぎ出してみるかい?」ということで用意するのが「地理A」なり「地理B」です。ただ、生徒のニーズも違いますし、港(学校)の大きさやクルーの数も違いますから、ボートの大きさに選択肢は残しておくべきです。また、「日本史の海にも行きたいし、世界史の海にもどっぷりつかりたい」というニーズだってあるわけですから、。そういうニーズに対応する上で「A科目」というのはなくしてはいけないと思います。
「磯遊びコースを作ったから、近海漁船はいらないでしょ?遠洋の大型船」があれば十分とも取れる指針は、「Why?」と言いたくなります。「新課程」丸は、就航して未だ3年しかたってませんし、3年次に「地理A」を開く我が勤務校に至っては、今年が初航海です・・・「地理Aを再編して」と、差も当たり前のように書いていますが、これはパブコメでもなんでも出して、ちょいと待ちなはれと言いたいのです。
現在、A科目は実業高校や総合学科の高校で多く開講されています。最近は、これらの学校から大学進学する生徒も多く、A科目はもとより、B科目への需要も増えてきています。「地理総合」のみを開講してA科目を廃止するとなると、見かけの単位上は変わりませんが、その後の専門的教養をどう担保するのかという点に不安が残ります。農業高校における自然環境や農業地理学的な考え方、商業高校における商圏分析理論や立地展開など、正直言って「体験的・探究的学び」だけではフォローしきれない、座学と演習で身に着けたい事柄も少なくありません。他教科・科目(専門教科)との兼ね合いからB科目を置けない学校で、「地理」や「世界史」、「日本史」への需要を満たす上で、これまで通りのオーソドックスな内容の「コンパクト版」であるA科目の存在は必要不可欠です。
文部科学省(2015):「高校教育における教科・科目の現状・課題と今後の在り方について(検討素案)(歴史教育・地理教育)」教育課程部会 教育課程企画特別部会(第7期)(第8回) 配付資料(資料2)
「スクラップ・アンド・ビルド」ではなく、「ビルド・アンド・ビルド」でいいんじゃないでしょうか?あくまで選ぶのは、現場であり、生徒です。
(2)ちゃんと教えられるのか?教える人をどう確保していくのか?
「地理総合」なる新科目が掲げる理念は崇高です。本気でやろうと思ったら、地理を専門とする教員もしり込みするくらいの中身になります。ただ、実際の担い手となるのは、地理を専門としない教員が多くなります。「失われた20年」の結果、現在、30代半ばよりも下の世代の地歴科目教員には、高校時代全く地を履修しなかった方が多くいらっしゃいます。7年後でしたら、40代になられています。「地理的な見方・考え方」とは一体なんぞや?GISとGPSの違いは?といったところから、ESD、アクティブラーニング等々、とにかく最新の理論やノウハウを「総合」的に集めたところでちゃんと消化できるのかな?という漠然とした不安があります。
浜辺で魚を釣るには糸と竿があれば十分です。魚をさばくにはよく切れる包丁が一つあれば十分です。別に魚群探知機を操る必要もありませんし、冷凍マグロをさばくようなチェーンソをみんな使えるように求めているわけではありません。今、必要なのは「魚は海で自分で獲ることができ、自分で料理するととてもおいしい」という極めて当たり前の「生きる力と知識」をすべての高校生に一刻も早く伝えられる仕組みを取り戻すことです。・・・・・・小中学校の地理教育を否定するつもりはありませんが、高校地理が隅に追いやられてきた結果、「魚って、切り身で泳いでるんですよね?」とか、「アジと、サバと、イワシの違い?んなんもんわかんなーい」「魚?見るのも嫌。私、お肉食べるからいいもん」みたいな若者(いや、結構な大人も含めて)が増えています。「再必修化」によって、一応先生も生徒も浜辺に立つわけですが、ではそれで問題が全部解決するわけではないのです。
最も危惧されるのは、釣れない(面白くない。生徒ものってこない)→原因がわからない→しょうがないから続ける→ボウズ(得るものなく終了)
のサイクル。これでは「さあ、次は沖釣りだよ!」と言っても人は来ないでしょう。「必修化」はもろ刃の剣でもあるのです。
さて、「地理屋」を自負する皆様、これから7年間、大変です。職人芸を一般化し、誰かにやってもらうノウハウを身に着けなけ行けませんし、これぞという子を沖に引っ張って一人前の「地理師」を育てなければいけません。今までのように「地理は、儲かるぞ!」(ガリガリ暗記しなくてもセンター試験で点が取れるぞ)なんて誘い文句も使えませんし(センターそのものがなくなる)、「地理総合だけ開いておけば、文系で地理B(名前は変わるかな?)なんて開く必要ないですよね?だから、地理の教員は採用控えてもいですよね?」とか、若い教員が「地理総合なんて、国際問題を調べさせて、発表やディベートとかさせておけばいいんですよね?楽勝楽勝。うーん、アクティブだなぁ」なんてほざくのをたしなめたりなど、決して未来は明るくないのです。
たらたら書きましたけど、この問題は、お上の一部が決めてどうこうする問題ではなく、現場の一人一人がどう考え、どうコメントしていくか、最悪の事態を避けるためにどう予防線を張るか、あるいはせかっくのチャンスをどう生かしていくかの問題なのです。既に、地理教員の後継者問題は、待ったなしのところにまで来ています。地理再必修化、あまりにも遅すぎたという感もありますが、とにかく今できる事は、どんどんあっていくべきなんじゃないかと思います。