2018年01月04日

「地理の神」への初詣

 あけましておめでとうございます。
 本年もよろしくお願いします。

 さて、初詣に行ってまいりました。
 毎年行っている帰省先の神社、お寺に加えて、今年は(個人的に)地理の神様、偉大なるメンターとして奉っている、守屋荒美雄先生のお墓に行ってまいりました。
 守屋先生は、昨年創業100周年を迎えた帝国書院の創業者であり、独学で「文検」(文部省検定)に合格し、旧制獨協中学校で教鞭を執られた地理教育の父ともいえる方です。昨年のお盆、帝国書院の100周年記念事業の一環で、先生の郷里、倉敷市で講演をさせていただきました(詳しくは"いとちり”2017年8月12日)。

 帰省先から電車で約40分。昨年のお礼も兼ねて、お参りに・・・・と思って行ったのですが、あれ?わからん・・・。お盆の時、ささっと車で連れて行ってもらって、土手沿いの、小高い丘の上の・・・とまで記憶していたのですが、何しろ丘沿いにお墓があちこちに。上がったり下りたりしていると、小雪が舞ってきて、こりゃいかんかと思って来た矢先、自転車に乗ったご老人に遭遇。

:「なにしてんの?」
:「はあ、お墓参りに来たんですけど、お墓が分からなくて」
:「ほう、誰の?」
:「守屋荒美雄さんというんですが・・・帝国書院の創業者で」
翁:「???」
:「いや、あの、守屋という方の一族のお墓で、そこだけポツンとありまして」
翁:「ああ、はいはい、"モリヤ墓”ね。むかし、倉敷のえらい人が、わざわざ倉敷の町を見下ろせるところに建てたっていう・・・。知っとる知っとる。子供の頃、遊んだことあるわ。いいか、こっからだな・・・。」

 と、このご老人のおかげで無事にお墓詣りができました。
 守屋荒美雄が亡くなったのが昭和16年ですから、確かにご老人が子供の頃からあったわけです。ちなみに、お墓がある場所は、倉敷市船穂町ですが、2005年に倉敷市に編入されるまでは、浅口郡船穂町ですので、ご老人が言うように、「倉敷の人のお墓」なわけです。

 今、帝国書院さんの高校向けの定期刊行物に守屋荒美雄の生涯について小稿を書いています(3学期中には出版・配送の予定です)。お墓のことも書いてありますが、そういえば詳しい行き方をガイドしたものがなかったなあと改めて思いました。お墓には、帝国書院さんが設置した案内板と、訪問者ノートが置かれており、誰でもお参りできる形になっています。「聖地巡礼」でもないですが、倉敷方面に行かれる際、ちょっと足を延ばしてお参りしてみてはいかがでしょうか?倉敷駅と新倉敷駅、どちらからも1駅の西阿知駅から2.7qでです。今度は迷わないように要所要所で写真を撮りましたので、参考にしてください。

route.jpg (地理院地図で作図)

@西阿知駅    A西阿知小学校(守屋荒美雄像があります)
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B船穂橋(高梁川の左岸のあたりに荒美雄の生家があったそうです)
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C船穂の集落(用水路沿いに街道をまっすぐ進みます)
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D横堤防(用水路に平行した堤防が直角に折れた場所です)。トンネルをくぐれば「モリヤ墓」へに続く坂に出ます)。
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今回、お墓そのものの写真は撮っていませんが、2010年2月、初めてお参りに連れて行ってもらった時の写真がこちらです。高梁川越しに、荒美雄の郷里が一望できます。
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2017年09月23日

「新しい地図」を読図する

 元SMAPの3人のファンサイト「新しい地図」をめぐる解釈がネットで話題なんだそうです。 
 地図学会でお世話になっている先生が話題にされていていました。色々と言葉の解釈で盛り上がってるのですが、あえて「地図」として読み解いたらどうなるんだろう。
と考えてみました。
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(1)視点を変えると実は「正確」な地図である。

古い(一般的な)地図と全く逆に使うと正確になります。
 つまり・・・
 ・南向きに立つ(普通の地図は北が上なので北向きに立つ)
 ・空を見上げる(普通の地図は上から見下ろす)
 ・太陽に向かう方向で、空を見上げると、東西南北は正しい。

 背景が空というのは、そういう見方をして欲しいと解釈できます。

(2)見下ろす地図から見上げる地図へ

ここからは地理というよりも、国語的心情理解ですが、

・今までの自分達は、上からの目線(自分達が偉そうというわけではなく、自分達の立ち位置よりも更に上の人からの視点)で見られながら
・自分たち自身を含めた「市場」を俯瞰してきた
・これからは、自分達の目線で、「空」(さらなる高み)を見つめたい
方向性は示すから、ついてくる人はついてきてほしい 

 という意図が読み取れます(というか、地図から想像することができます)

 どんな地図でも「描き手」がいて「読み手」がいて、「伝える情報」があります。少なくともそれらが成立しなければ、ただの「絵図」です。なんかコマーシャルするようですが、昨年書いた拙著『地図化すると世の中が見えてくる』の第一章一本目にそういう話を書きました。幻冬舎さんがWebマガジンでダイジェスト版を作ってくださったので、記事のリンクを貼ります。
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稲垣吾郎、草g剛両名は、同い年です。香取君の「新撰組!」は毎週楽しく観ていました。
役者としても働き盛りですし、大きな組織を離れてセルフマネジメントを試みる彼らの取り組みに注目して行きたいです。


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2015年08月08日

祝(?)地理再必修化−今、「地理屋さん」に求められること

   文部科学省は8月5日、2016年度から改定する次の学習指導要領(高校では、2022年度入学生から実施。現:小学校3年生の高校入学時より)の骨子を発表しました。既に新聞等で大きく取り上げられているように、世界史と日本史を融合した必修科目「近現代史」や、地理Aを再編成する(?)「地理総合」、公民科に設置される新必修科目「公共」の設置などが目玉になっています。当たり前といえば当たり前ですが、報道機関によって若干内容説明のニュアンスが違うので、当事者の方は是非文科省の発表資料にあたられることをお勧めします。

  ●教育課程部会 教育課程企画特別部会(第7期)(第13回) 配付資料
  
資料2−3が高校の教育課程の再編成案の資料です。
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  高校で「地理」が選択科目になり、20年以上が経過しました。必修に戻すべきだとか、「選択」と言っておきながら学校の都合で実質選択の余地がない(文系は日本史、理系は地理という形で)、高校(特に進学校の文系)でまともに「地理」を教える学校が減った結果、教員採用試験を地理で受験しようという志願者が激減している上、非常勤講師のなり手も少なく、高校地理教育界は深刻な後継者難に直面している等々、このブログでもいろいろ書いてまいりました。

  「地理再必修化」の問題は、地理教育関係者にとって悲願でした。その先頭に立って問題提起をし、政策提言をして来た日本学術会議地理教育分科会の先生方の議論の末席に加えさせてもらっています。とうとう、やったという思いはひとしおだと思いますし、水を差す気はないのですが、どうも「2020年東京オリンピック招致決定!」の時に感じたような、なんともいえぬ違和感というか、不安感というか、だいじょうぶかなー?感が漂っているこの頃です。

 感じている違和感は2つあります。

(1)A科目はどうなるんですか?本当になくなっちゃうんですか?

「地理A」や「日本史A」、「世界史A」は、B科目のハーフサイズ、2単位1年間を標準修了年限とする科目です。サイズはハーフでも中身は結構詰まっていまして、最近は、テレビや書籍でおなじみのジャーナリストさんや、国際問題について鋭い評論を書いている作家さんが、「ビジネスパーソンにとって世界史の知識は必須だ。高校世界史の、近現代を中心に書いた世界史A”の教科書を買って読むことを勧める」と公言するくらいです。これは地理にも言える事でありまして、高校地理で知っておいて欲しい知識やノウハウが上手にコンパクトにまとまっているなあという気がします。

 「ハーフサイズ」とか言うとどうしてもマイナー科目のように見えますが、実はB科目よりも履修者は多いようです。文科省の調べ(これも中教審の審議会用の参考資料)によると、各科目ともBよりもAの方が履修者が多いことがわかります。
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    文部科学省(2015) 「高校教育における教科・科目の現状・課題と今後の在り方について(検討素案)(歴史教育・地理教育)」教育課程部会 教育課程企画特別部会(第7期)(第8回) 配付資料(資料2)

 履修者が多い「A科目」が必修になるんだからいいんじゃないか?という考え方もあるかと思います。ただ、現行の提案では、A科目の再編成、つまり全く新しい科目が誕生し、それが必修科目になると考えています。

  日本学術会議の提言では、地理の新科目と、日本史・世界史融合の新科目の設置をもとめていますが、その名称を「地理基礎」「歴史基礎」としてきました。必修科目(恐らく1年次)で地理なら地理の基本的な考え方やデータのまとめ方、もう少しいえばGISなどを使って「自分で地図を描いてみる」「自分で外に出て、景観や人の話から地域を診断してみる」トレーニングを積んだ上で、興味のある生徒は系統だてて理論や知識を吸収していくというイメージでいました。もう少し言うと、「基礎」の上に「専門」があり、その専門科目の尺(しゃく)は、長いものと短いものの両方があった方がより実効性が高いのではないか?と思うのです。

  暑い日が続くので、水泳に例えてみましょう。小中学校で、プールや川で泳ぎを学んだ子供たち。高校で「海での泳ぎ方・魚や貝の捕まえ方」を学びます。これまでは一部の子しか海につれていけませんでしたが、今度は全員波打ち際で海の水に慣れ、海そのものについて色々な角度から学ぼうというわけです。それで「あー、面白かった」と陸に上がっていく生徒も多いのでしょうが、「遠泳をやりたいっす」とか、「ダイビングしたいっす」「プロの漁師になりたいっす」という海好きの子を集めて、「じゃあ、ボートに乗って、大海原に漕ぎ出してみるかい?」ということで用意するのが「地理A」なり「地理B」です。ただ、生徒のニーズも違いますし、港(学校)の大きさやクルーの数も違いますから、ボートの大きさに選択肢は残しておくべきです。また、「日本史の海にも行きたいし、世界史の海にもどっぷりつかりたい」というニーズだってあるわけですから、。そういうニーズに対応する上で「A科目」というのはなくしてはいけないと思います。

  「磯遊びコースを作ったから、近海漁船はいらないでしょ?遠洋の大型船」があれば十分とも取れる指針は、「Why?」と言いたくなります。「新課程」丸は、就航して未だ3年しかたってませんし、3年次に「地理A」を開く我が勤務校に至っては、今年が初航海です・・・「地理Aを再編して」と、差も当たり前のように書いていますが、これはパブコメでもなんでも出して、ちょいと待ちなはれと言いたいのです。

  現在、A科目は実業高校や総合学科の高校で多く開講されています。最近は、これらの学校から大学進学する生徒も多く、A科目はもとより、B科目への需要も増えてきています。「地理総合」のみを開講してA科目を廃止するとなると、見かけの単位上は変わりませんが、その後の専門的教養をどう担保するのかという点に不安が残ります。農業高校における自然環境や農業地理学的な考え方、商業高校における商圏分析理論や立地展開など、正直言って「体験的・探究的学び」だけではフォローしきれない、座学と演習で身に着けたい事柄も少なくありません。他教科・科目(専門教科)との兼ね合いからB科目を置けない学校で、「地理」や「世界史」、「日本史」への需要を満たす上で、これまで通りのオーソドックスな内容の「コンパクト版」であるA科目の存在は必要不可欠です。

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文部科学省(2015):「高校教育における教科・科目の現状・課題と今後の在り方について(検討素案)(歴史教育・地理教育)」教育課程部会 教育課程企画特別部会(第7期)(第8回) 配付資料(資料2)

 「スクラップ・アンド・ビルド」ではなく、「ビルド・アンド・ビルド」でいいんじゃないでしょうか?あくまで選ぶのは、現場であり、生徒です。

(2)ちゃんと教えられるのか?教える人をどう確保していくのか?

 「地理総合」なる新科目が掲げる理念は崇高です。本気でやろうと思ったら、地理を専門とする教員もしり込みするくらいの中身になります。ただ、実際の担い手となるのは、地理を専門としない教員が多くなります。「失われた20年」の結果、現在、30代半ばよりも下の世代の地歴科目教員には、高校時代全く地を履修しなかった方が多くいらっしゃいます。7年後でしたら、40代になられています。「地理的な見方・考え方」とは一体なんぞや?GISとGPSの違いは?といったところから、ESD、アクティブラーニング等々、とにかく最新の理論やノウハウを「総合」的に集めたところでちゃんと消化できるのかな?という漠然とした不安があります。

  浜辺で魚を釣るには糸と竿があれば十分です。魚をさばくにはよく切れる包丁が一つあれば十分です。別に魚群探知機を操る必要もありませんし、冷凍マグロをさばくようなチェーンソをみんな使えるように求めているわけではありません。今、必要なのは「魚は海で自分で獲ることができ、自分で料理するととてもおいしい」という極めて当たり前の「生きる力と知識」をすべての高校生に一刻も早く伝えられる仕組みを取り戻すことです。・・・・・・小中学校の地理教育を否定するつもりはありませんが、高校地理が隅に追いやられてきた結果、「魚って、切り身で泳いでるんですよね?」とか、「アジと、サバと、イワシの違い?んなんもんわかんなーい」「魚?見るのも嫌。私、お肉食べるからいいもん」みたいな若者(いや、結構な大人も含めて)が増えています。「再必修化」によって、一応先生も生徒も浜辺に立つわけですが、ではそれで問題が全部解決するわけではないのです。

  最も危惧されるのは、釣れない(面白くない。生徒ものってこない)→原因がわからない→しょうがないから続ける→ボウズ(得るものなく終了)
のサイクル。これでは「さあ、次は沖釣りだよ!」と言っても人は来ないでしょう。「必修化」はもろ刃の剣でもあるのです。

  さて、「地理屋」を自負する皆様、これから7年間、大変です。職人芸を一般化し、誰かにやってもらうノウハウを身に着けなけ行けませんし、これぞという子を沖に引っ張って一人前の「地理師」を育てなければいけません。今までのように「地理は、儲かるぞ!」(ガリガリ暗記しなくてもセンター試験で点が取れるぞ)なんて誘い文句も使えませんし(センターそのものがなくなる)「地理総合だけ開いておけば、文系で地理B(名前は変わるかな?)なんて開く必要ないですよね?だから、地理の教員は採用控えてもいですよね?」とか、若い教員が「地理総合なんて、国際問題を調べさせて、発表やディベートとかさせておけばいいんですよね?楽勝楽勝。うーん、アクティブだなぁ」なんてほざくのをたしなめたりなど、決して未来は明るくないのです。

 たらたら書きましたけど、この問題は、お上の一部が決めてどうこうする問題ではなく、現場の一人一人がどう考え、どうコメントしていくか、最悪の事態を避けるためにどう予防線を張るか、あるいはせかっくのチャンスをどう生かしていくかの問題なのです。既に、地理教員の後継者問題は、待ったなしのところにまで来ています。地理再必修化、あまりにも遅すぎたという感もありますが、とにかく今できる事は、どんどんあっていくべきなんじゃないかと思います。
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2014年07月07日

事業統合に併せて(NPO法人「伊能社中」メールマガジンより)

  幹事をしておりました、「教育GISフォーラム」が、NPO法人「伊能社中」に統合されました。
  ご挨拶という事で、各幹部の下に載せてもらいましたので、以下転載します。
  【本編はこちら】
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  このたびの事業統合にあたり、一言ご挨拶させていただきます。
 
  「教育GISフォーラム」の設立は2002年です
   私が幹事になったのは、慶応SFCの福井弘道先生(当時/現中部大学高等学術研究所教授)が、 NHKと共同で製作した「データマップ・63億人の地図」(2004年)を学校教材としてどう活用するかのプロジェクトに関わったことがきっかけです。
   それから約10年、地球の総人口は70億人を越えていますから、結構長い歴史のある団体だったのだなあと改めて思います。

 先日行われた「教育GISフォーラム」としての最後の総会に出席された伊能社中の幹部の皆さんは、 福井先生をはじめ、居並ぶ重鎮、教育GISフォーラムの「生みの親」の皆さんに結構絞られていました(笑)。
   学校現場にGISとは何かを伝え、操作を教え、普及を図る時代が過ぎ、誰でも使えるソフト、いつでも使える端末、そして溢れんばかりの「地理情報」が流通するようになった今、教育GISに関わる研究者と実務者を束ねてきた二つの団体の「結婚」は、理想的なことだと思います。
    「GIS」という言葉が全く市民権を得ていなかった頃から試行錯誤を重ねられ、手塩にかけて育ててきた団体を「嫁に出す」ことになった先生方にとっては、感慨深いものがあったと思います。
 私自身は、姉さんにくっついて来た"カツオくん”あるいは、駅で見かけると必ず一杯誘いにかかる"ノリスケくん”みたいな立場で、「マスオさんファミリー」をサポートできればと思います。どうぞよろしくお願いします。
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   私が「教育GISフォーラム」の門をたたいた時は、札幌からこちらに帰ってきて2年目だったと記憶しています。東京・四谷にある「地域開発総合研究所」の一角を借りて行われる会議には、当時としてもそうそうたる顔ぶれが集まり、「東京の会議に出ている」自分になんとも場違い感を覚えたものです。

 会長の碓井先生(奈良大学名誉教授)や事務局長の太田先生(慶応義塾普通部)と一緒に、民主党政権時代の鈴木寛文部科学副大臣(現:慶応大学/東京大学教授 教育GISフォーラムの発起人の一人です)に陳情しに行ったのも良い思い出です。副大臣室でiPad(初代)を拡げて「デジタル地図帳計画」をぶったりしていました。あちこちで講習会もやらせてもらいましたし、「データBAR」という名の教材集も作りました。特に、2011年11月のタイの大洪水のときは、国内外のあらゆるところからたくさんのアクセスがあり、目を丸くしたものです。
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と、しんみりしてもしょうがないのですが、NPO法人の一員となり、今までできなかったことを若い人たちと一緒に仕掛けて行けたらと思っています。
 8月7日には、仙台(東北大学)で、伊能社中と地図学会学校GIS教育専門部会合同で「防災教育と地図」の特別セッションを行います。詳報は随時ご案内してまいります。
 「教育GISフォーラム」改め「伊能社中」を今後ともよろしくお願いします。
posted by いとちり at 22:36| Comment(0) | TrackBack(0) | いとちりのコンセプト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年06月15日

NPOのメンバーになりました。

  GIS(地理情報システム)を扱う企業と教育現場をつなぐ任意団体である「教育GISフォーラム」の幹事をやらせてもらっていますが、昨日、東京・渋谷で総会が行われ、特定非営利法人伊能社中さんと事業統合することとなり、私もそのメンバーに入れてもらうことになりました。

 思えば2年前、関西の学生さん達が中心となり、Google Earthで授業を面白くする教材を作るんだというムーブメントが起こり、「e design」という任意団体が作られたのを「面白いなー」と等ブログで応援させてもらいました。

Google Earthで教材を作るワークショップに注目(いとちり2012年2月18日付)http://itochiriback.seesaa.net/article/252824484.html

Google Earthに教材写真を埋め込む無料ソフトの動画(いとちり2012年2月20日付)

  例えて言うなら、よちよち歩きをしていた近所の「ぼん」が、ちょっと見ない間に立派になって、自分のとこの姉さんを「お嫁にください」と申し入れてきたようなもんです。私は途中からの「飛び込み幹事」でありますが、昨日は創立以来の発起人、歴代会長さんらがお見えになり、お父さん、お母さん方から「万が一にでも、うちの可愛い娘を路頭に迷わすことはないんだろうな?」的な“口頭試問”もあったりして、若い代表者さんらがあせあせと応対していました。

  で、いきなり「姉さん」が結婚した「カツオくん」みたいな立場になった私ですが、「マスオさんs」に教えてもらった、「フグ田家」ならぬ伊能社中さんの概要を記しておきたいと思います。
 公式サイトはこちら。Facebookやメルマガも運営されています。
shachu.png

 この会の特徴は、年会費(一般3000円)を払うと、デジタル教材の製作発注を行うことができる(おひとり様年1回まで。それ以上は追加料金)。また、「会員」の発案による、デジタル地図を使った新しい教材開発プロジェクトの受付と、スタートアップの事業支援も行おうとしている(予算付で)そうです。

 学校の先生が何かテーマを設けて文字通りの「教材研究」(次の授業の下調べではなく、教材や教具を自分で作ること)をしようとなると、手間も予算もかかります。そのような時、有償で学生さんの団体に「アウトソーシング」したり、テクニカルサポートが受けられるのは便利です。それでも、年3000円は高いかもしれませんが、「会員の発案による新規事業」を常に受け付けていますので、自分のアイデアで予算がついて来れば、3000円の投資が数十万、数百万円のプロジェクトに化ける可能性もあるのです。自分で提案するもよし、動き出したプロジェクトにメンバーとして参画するもよしです(交通費とか、堂々と請求できます)。

黙って待っていても、学校のICT環境やGISを動かすためのソフトやお金は降ってきません。「ほぼ無料」で貫くのも知恵の一つではありますが、「教育委員会(あるいは学校の経営者)はケチだ」「お金がないからいい教育ができないんだ」とぼやくだけでは何も始まりません。補助金や助成金を自ら引っ張ってくる。それができないのならば、「能力と時間を持つ若者にお金とノウハウ投資をして、自分もその恩恵にあずる(かもしれない)」ことで、現場もNPOもwin winの関係になるのではないでしょうか。使い古した表現ではありますが、これからの時代の「社会起業」とその支援のロールモデルになるのかもしれません。NPOですから配当は出ませんけど、意欲ある若者に1株¥3000の投資は安いのではないでしょうか?

 中心となって動いている学生「社員」さんらは、会員の獲得と、官公庁や企業からの事業受託に日夜奔走しています。それは、長崎で坂本竜馬が立ち上げた日本初の株式会社組織、「亀山社中」のようでもあります。

  操船や商売のスキル、そして時間と使命感はは有り余るほどはあったものの、お金もなければ地位もなかった脱藩浪人の集団は、“蒸気船”という全く新しいインフラを駆使した全く新しい海運業を始めます。薩摩や長州は、リスキーな仕事を若者たちに「アウトソーシング」する一方で自藩の中堅藩士にサポートさせました。西郷さんが明治維新を迎えた時、40そこそこ、桂小五郎が30代前半ですから、今の自分と「伊能社中」メンバーの関係は、似たようなものかなと思います。ちなみに、勝海舟クラスの大先生も、何人かいらっしゃいまして、昨日もいろいろ厳しい突っ込みを入れられてました。

  海運や政治に進出して行った若者達の姿は、インターネットやGIS、タブレットといった新しいインフラ(その多くは海の向こうから来ている)を武器に、日本の教育を洗濯(?)しようとする彼らにちょいと重なります。・・・・竜馬の死後、事業を引き継いだ岩崎弥太郎が「三菱」財閥にまで育て上げたのは大河ドラマでもおなじみの話です。
 地理・地図の“神様”、伊能忠敬の名を冠したこのNPOも、ゆくゆくは日本で知らない人がいないほどの団体になっているかもしれません(実際、ネットの世界ではそのようなサクセスストーリーには事欠きません)。学生や院生の集団である「伊能社中」のメンバーと、若手の教員がそれこそ「藩」「お役目」を超えて切磋琢磨し、ここを巣立った人たちが、日本の地理教育や情報教育を思い切り変えていく事を期待してやみません。
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 (←直接は関係ない話ですが、大ヒットを飛ばしたこの本の著者は、執筆当時、都立高校の現役の先生でしたね。自分もあやかりたいもんです。)

  とまあ、昨日まで「がんばってるなあ」と見ていてこの夏にも「ジョイントイベント」を行おうと打ち合わせしていた団体さんといきなり「身内」になってしまいました。これからは「支援」するのではなくて、起案して、決裁」をもらう立場になりますが、将来自分も同じように事業を起こそうという際に、いろいろと参考になることは多いと思いますので、OJTとして頑張ってみようと思います。

 さしずめ、主要メンバーが関西と関東に分散していますので、「中日本営業所・駐在員」でも名乗っておきましょうか。先日、この会社の静岡支店があることを教えてもらって、なんか組んで仕事できないかな?と思っているところであります(本社は旭川)が、個人でなくて法人の一員として動いてみるのも面白いなと思っています。
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 というわけで、伊能社中をよろしくお願いします。教員(特に地理の先生)の皆様、年3000円の投資で若い衆をサポートしつつ、これぞというプロジェクトを動かしてみませんか?
 「お義父さん」方の前で、壮大な事業計画を立てた若者達。年恰好からして、「カツオくん」というよりも「ノリスケさん」のほうが年恰好的にも立場的にも近いような気もしますが、縁者になったという事で、いろいろと組んで面白いことをやっていきたいと思います。
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