2018年02月18日

新学習指導要領へのパブリック・コメント

 すでにあちこちで話題になっていますが、2022年度高校入学生(現:小学校5年生)から実施される新しい高等学校学習指導要領の案が公開されました。3月15日まで、「パブリック・コメント」を募集しています。

 仕事が仕事なので、とにもかくにもこの通りにやっていくわけで、個人的にはやっと地理が必修に戻ったという事でやる気に満ちてはいます。特に新必修科目「地理総合」は、ここまで思い切って変えましたか!というくらい、シンプルかつ中身の濃いものになっていますので、今までになかった面白い実践がどんどん生まれてくるように思います。
 ただ、中身がいくら充実しているからと言っても、実際にそれを動かすのは現場の教員です。現場の教員が新しい指導要領の趣旨を理解していなかったり、非難(避難?)を決め込んで骨抜きにされてしまっては元も子もありません。いくつか懸念される事がありますので、パブリック・コメントに書かせてもらいました。以下、備忘録を兼ねて転載します。

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   静岡県の高等学校(県立裾野高等学校)で地理歴史・公民を担当している教員です。
 新必修科目、「地理総合」「歴史総合」の目的および教育方法の周知徹底のために、二点、コメントを述べさせていただきます。

(1)移行措置期間における先行実施の推進
 「移行措置」期間において、教育課程上実施しやすい学校(例えば、2単位の「地理A」、「世界史A」「日本史A」を置いている実業校、総合学科校等で、これらの科目に代えて「地理総合」「歴史総合」の設置と履修を認める措置をとっていただきたいと思います。
 長らく「地理A」および「地理B」は必修科目から外れ、特に進学校で文系に所属していた教員は、高校で地理を履修していない人が多くいます。2022年度から一斉に必修化されると、開講単位数が一気に増える一方で、地理の履修経験、指導経験に乏しい教員が、アクティブ・ラーニングを軸に置いた全く新しい地理教育に携わることになります。既に日本学術会議(地理教育分科会)や地理関係の学会では、この問題について議論が行われていますが、先行実施校を置いた上で、地理を専門とする教員が教材開発やカリキュラムデザインを進めて行くことが必要かと思われます。

(2)「抜け道」を避けるための対策と指導徹底
 今回の改定案を受けて、新たな取り組みに燃える現場の教員も多くいる一方で、今までの指導とは全く異なる内容に当惑している教員も少なくありません。ただ、「地理総合」&「地理探究」、「歴史総合」&「日本史・世界史探究」が合わせて6単位であることから、特に進学校に置いて、従来の「B科目」と同じように、連続履修の形を取ればよいという議論も多々見受けられます。すなわち、地理ならば高校2年次に「地理総合」(中身は従来型の系統地理の講義)、高校3年次に「地理探究」(中身は地誌と問題演習)の形に、「歴史総合」を゛世界史コース”と”日本史コース”に最初から分けて、2年次に近代史、3年次に古代・中世の講義を行うというものです。これでは、新指導要領の趣旨とは全くかけ離れた旧来型の知識伝達教育が繰り返されます。また、場合によっては「地理総合」の時間ですら、「歴史を踏まえた地域の探求」と称して、歴史学習の時間に充てるべきだという意見も、歴史教育関係の公的な研究会で出されていたという話を耳にしています。
 「未履修問題」という苦い経験を経ているにも拘らず、「現場の論理」「受験に対応した」「子供たちのために」という論理で、折角の新指導要領が骨抜きになってしまいかねないことを懸念しています。また、そうした教育慣行を教育委員会も黙認している風潮も改まらない状況が続いています。
 今後、各教育委員会経由で現場への周知のための研修等が行われて行きますが、丁寧な趣旨の伝達と、「抜け道」を作らせないための指導徹底をお願いしたい所存です。
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2018年02月03日

地理教員の山村留学・・・近未来の若手育成を考える

 ちょっと気になるニュースを紹介してもらいましたので、備忘録を兼ねて書きます。

以下、引用
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選択科目の教師を独自採用(NHK島根)2018.2.2


  島根県は中山間地域や離島の一部の公立高校で、教員不足のため現在は行われていない地理や美術といった選択科目について、県独自の予算で教員を増やして授業を行う方針を固めました。
  県立高校の教職員の定数は国の法律で生徒数に基づいて定められているため、島根県の中山間地域や離島では生徒数が減るに伴って教員を十分に確保できず、選択科目のうち地理や美術の授業が行われていない高校があります。
   一方で、中山間地域や離島の公立高校では「しまね留学」として県外からの入学者を受け入れているところもあり、島根県はこうした高校の教育の充実を図るため、県単独の予算で教員を増やす方針を固めました。
   具体的には「地理」と「美術」の科目を教える教員、あわせて6人を採用する方針です。
   一方、島根県は、県立高校の教員の負担軽減に向けて事務作業を行う非常勤職員を新たに配置するほか、生徒の判断力などを養うアクティブラーニング型の授業に必要なICT環境の整備などもあわせて行う方針です。島根県はこれらにかかる人件費など、あわせて1億2000万円あまりを新年度予算案に盛り込み、2月19日に開会する2月県議会に提出する予定です。
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 隠岐島(→記事)の特色ある実践や、中山間地域の振興、過疎地の倉庫を活用したネット古書店「エコカレッジ」(→紹介記事)など、何かと「おー、そう来るかー」という取り組みが行われている島根県の教育シーンですが、今度はこう来たようです。
 過疎地の悩みの一つとして、教員が少なく、一人の教員が多くの科目を担当すること。中学校では「免許外担当」が当たり前ですし、高校では「専門外の科目は最初から開講しない」なんてことが当たり前です(過疎地に限ったことではないかもしれませんが)。また、教員の構成も管理職以外はみんな20代、30代のような事もありますし、偏差値レベルも決して高くありません。大学以上に進学したい子は都市部の高校に遠距離通学、あるいは高校から下宿して通い、地元に残る生徒はそれがかなわない子という図式も定着しています。少子化が進む中で、高校の存続自体が危うくなっており、他県を含めた広域で越境入学を促しているところが多いのが実情です。

 そのような中で、あえて「地理」と「美術」と具体的な教科、科目を打ち出して独自の採用枠を設けた島根県の政策は注目したいところです。マイナー科目で過疎地では特に非常勤講師の確保が難しいこと、2022年から高校で「地理総合」が必修化されることを意識して
地理を教えられる教員を確保しておきたいことなど、背景は色々と察することが出来ます。 
  ただ、「君は過疎地枠で採用されたんだから、基本的に過疎地を回ってもらうよ」という人事が果たして成り立つのか、あるいは公立高校ながら「新規採用から退職まで、ずーっとこの学校ね」なんてことが成り立つのか(それでよいのか?)、その枠を目がけてちゃんと人が集まるのか等、ちょっと疑問を感じるところがあります。もともとその土地の生まれで、そこに住みたいという人ならともあれ、教員のライフステージの変化の中で、事情も変わってくる可能性があります。また、限られた予算の枠の中で正教員を増やすといってもせいぜい2,3人が限界だと思いますし、県の税収自体が減っていく中で、「過疎地枠採用」がどこまで続くかは見えません。

 一案として、「過疎地枠」の採用枠を有期雇用(常勤講師)として、3年間限定の採用とするのはどうかと思います。「地域おこし協力隊」を参考に、過疎地への教員としての赴任を前提に、給与と住居を保証するものです。慶應義塾大学(SFC)が始める地域おこし研究員地域おこし協力隊の活動をしながら大学院の政策・メディア研究科の大学院生として修士号の取得を目指す)のように、教職大学院と組んで修士号の取得を目指すコースを作ってもいいのではないかと思います。

 地理教員の学びは、何と言っても地域にあります。フィールドに出て、人と関わりながら理論と実際をつなぎ、教材を作っていくことで、教師としての幅が広がります。ただ、残念なことに、若いうちはフィールド云々いう前に、雑務が多すぎてとてもそんなことは出来ないのが実情です。
 田舎の小さな学校が楽かというと決してそんなことはありませんし、むしろ少ない人員で一人で何役もこなしたり、若くしてチームリーダー(学年主任や課長)をしなければなりません。そうした先生がいる一方で、゛3年限定のインターン”として、特定のミッションを持った若い先生が入れ替わり立ち代わり来るような環境があってもいいように思います。ちょうどALT(英語の授業を補佐するネイティブ外国人。原則2年交代)みたいなものです。
 早稲田大学の学生さんが、1年間休学して島根県津和野町に「地域おこし協力隊」として
派遣され、町営英語塾や地元の高校の活性化に取り組んだケースが紹介されています。
(→記事)彼は1年間のミッションでしたが、色々なところにニーズはあると思います。

 大学を出て、教職に就きたい学生の受け皿として(卒業した大学のある街や地元で1年更新の非正規雇用を続けながら正採用を目指すよりは、はるかにいい条件だと思います)、若手教員のスキルアップの場として(休職あるいは出向という形で)、定年退職者の再任用手段の一つとして、「期間限定であえて過疎地に飛び込む」という選択肢を用意することで、全国から優秀な人材を集められるのではないかと思います
 教職大学院と連携して修士号をというアイデアを書きましたが、教員免許の臨時免許は最大3年間有効ですので、教員免許を持たない社会人に臨時免許を発行し、通信制大学院に通って正規免許を取ってもらうという方法もあると思います。そうすれば、企業を退職して一念発起で教員になりたい」という人に生活の場と実践の場を提供する機会になると思います。
 過疎地の高校では、寮を併設するなどして県外からの越境入学者を積極的に集めています。少人数教育、自然に囲まれた環境、人間関係のリセット等、動機は様々かと思いますが、教員もまた越境募集の仕組みを整えることで多彩な人材が集まる、魅力的な学校になるのではないかと思います。制度だけでなく、最新鋭のICT環境や予算の決裁権(特に外に出る交通費)を与えて、成果を外へ発信するための支援も必要でしょう。

 予算には限りがあります。単純に「枠を作って人を増やして送ったからOK」という訳にも行かないと思います。どう活用するか、効果をどう検証するか、島根県の取り組みは、全国の過疎地の高校教育を活性化させる上でのヒントになるように思います。議会での議論、
来年度の取り組みに注目して行きたいところです。




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2018年01月04日

「地理の神」への初詣

 あけましておめでとうございます。
 本年もよろしくお願いします。

 さて、初詣に行ってまいりました。
 毎年行っている帰省先の神社、お寺に加えて、今年は(個人的に)地理の神様、偉大なるメンターとして奉っている、守屋荒美雄先生のお墓に行ってまいりました。
 守屋先生は、昨年創業100周年を迎えた帝国書院の創業者であり、独学で「文検」(文部省検定)に合格し、旧制獨協中学校で教鞭を執られた地理教育の父ともいえる方です。昨年のお盆、帝国書院の100周年記念事業の一環で、先生の郷里、倉敷市で講演をさせていただきました(詳しくは"いとちり”2017年8月12日)。

 帰省先から電車で約40分。昨年のお礼も兼ねて、お参りに・・・・と思って行ったのですが、あれ?わからん・・・。お盆の時、ささっと車で連れて行ってもらって、土手沿いの、小高い丘の上の・・・とまで記憶していたのですが、何しろ丘沿いにお墓があちこちに。上がったり下りたりしていると、小雪が舞ってきて、こりゃいかんかと思って来た矢先、自転車に乗ったご老人に遭遇。

:「なにしてんの?」
:「はあ、お墓参りに来たんですけど、お墓が分からなくて」
:「ほう、誰の?」
:「守屋荒美雄さんというんですが・・・帝国書院の創業者で」
翁:「???」
:「いや、あの、守屋という方の一族のお墓で、そこだけポツンとありまして」
翁:「ああ、はいはい、"モリヤ墓”ね。むかし、倉敷のえらい人が、わざわざ倉敷の町を見下ろせるところに建てたっていう・・・。知っとる知っとる。子供の頃、遊んだことあるわ。いいか、こっからだな・・・。」

 と、このご老人のおかげで無事にお墓詣りができました。
 守屋荒美雄が亡くなったのが昭和16年ですから、確かにご老人が子供の頃からあったわけです。ちなみに、お墓がある場所は、倉敷市船穂町ですが、2005年に倉敷市に編入されるまでは、浅口郡船穂町ですので、ご老人が言うように、「倉敷の人のお墓」なわけです。

 今、帝国書院さんの高校向けの定期刊行物に守屋荒美雄の生涯について小稿を書いています(3学期中には出版・配送の予定です)。お墓のことも書いてありますが、そういえば詳しい行き方をガイドしたものがなかったなあと改めて思いました。お墓には、帝国書院さんが設置した案内板と、訪問者ノートが置かれており、誰でもお参りできる形になっています。「聖地巡礼」でもないですが、倉敷方面に行かれる際、ちょっと足を延ばしてお参りしてみてはいかがでしょうか?倉敷駅と新倉敷駅、どちらからも1駅の西阿知駅から2.7qでです。今度は迷わないように要所要所で写真を撮りましたので、参考にしてください。

route.jpg (地理院地図で作図)

@西阿知駅    A西阿知小学校(守屋荒美雄像があります)
2018010316110000.jpg 2018010314370001.jpg   

B船穂橋(高梁川の左岸のあたりに荒美雄の生家があったそうです)
2018010313430001.jpg 2018010313460000.jpg
C船穂の集落(用水路沿いに街道をまっすぐ進みます)
2018010313310000.jpg 
D横堤防(用水路に平行した堤防が直角に折れた場所です)。トンネルをくぐれば「モリヤ墓」へに続く坂に出ます)。
2018010313280002.jpg
今回、お墓そのものの写真は撮っていませんが、2010年2月、初めてお参りに連れて行ってもらった時の写真がこちらです。高梁川越しに、荒美雄の郷里が一望できます。
photo001.jpg

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2017年09月23日

「新しい地図」を読図する

 元SMAPの3人のファンサイト「新しい地図」をめぐる解釈がネットで話題なんだそうです。 
 地図学会でお世話になっている先生が話題にされていていました。色々と言葉の解釈で盛り上がってるのですが、あえて「地図」として読み解いたらどうなるんだろう。
と考えてみました。
newchizu.jpg

(1)視点を変えると実は「正確」な地図である。

古い(一般的な)地図と全く逆に使うと正確になります。
 つまり・・・
 ・南向きに立つ(普通の地図は北が上なので北向きに立つ)
 ・空を見上げる(普通の地図は上から見下ろす)
 ・太陽に向かう方向で、空を見上げると、東西南北は正しい。

 背景が空というのは、そういう見方をして欲しいと解釈できます。

(2)見下ろす地図から見上げる地図へ

ここからは地理というよりも、国語的心情理解ですが、

・今までの自分達は、上からの目線(自分達が偉そうというわけではなく、自分達の立ち位置よりも更に上の人からの視点)で見られながら
・自分たち自身を含めた「市場」を俯瞰してきた
・これからは、自分達の目線で、「空」(さらなる高み)を見つめたい
方向性は示すから、ついてくる人はついてきてほしい 

 という意図が読み取れます(というか、地図から想像することができます)

 どんな地図でも「描き手」がいて「読み手」がいて、「伝える情報」があります。少なくともそれらが成立しなければ、ただの「絵図」です。なんかコマーシャルするようですが、昨年書いた拙著『地図化すると世の中が見えてくる』の第一章一本目にそういう話を書きました。幻冬舎さんがWebマガジンでダイジェスト版を作ってくださったので、記事のリンクを貼ります。
gento.jpgchizuka.jpg

稲垣吾郎、草g剛両名は、同い年です。香取君の「新撰組!」は毎週楽しく観ていました。
役者としても働き盛りですし、大きな組織を離れてセルフマネジメントを試みる彼らの取り組みに注目して行きたいです。


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2015年08月08日

祝(?)地理再必修化−今、「地理屋さん」に求められること

   文部科学省は8月5日、2016年度から改定する次の学習指導要領(高校では、2022年度入学生から実施。現:小学校3年生の高校入学時より)の骨子を発表しました。既に新聞等で大きく取り上げられているように、世界史と日本史を融合した必修科目「近現代史」や、地理Aを再編成する(?)「地理総合」、公民科に設置される新必修科目「公共」の設置などが目玉になっています。当たり前といえば当たり前ですが、報道機関によって若干内容説明のニュアンスが違うので、当事者の方は是非文科省の発表資料にあたられることをお勧めします。

  ●教育課程部会 教育課程企画特別部会(第7期)(第13回) 配付資料
  
資料2−3が高校の教育課程の再編成案の資料です。
katei.jpg


  高校で「地理」が選択科目になり、20年以上が経過しました。必修に戻すべきだとか、「選択」と言っておきながら学校の都合で実質選択の余地がない(文系は日本史、理系は地理という形で)、高校(特に進学校の文系)でまともに「地理」を教える学校が減った結果、教員採用試験を地理で受験しようという志願者が激減している上、非常勤講師のなり手も少なく、高校地理教育界は深刻な後継者難に直面している等々、このブログでもいろいろ書いてまいりました。

  「地理再必修化」の問題は、地理教育関係者にとって悲願でした。その先頭に立って問題提起をし、政策提言をして来た日本学術会議地理教育分科会の先生方の議論の末席に加えさせてもらっています。とうとう、やったという思いはひとしおだと思いますし、水を差す気はないのですが、どうも「2020年東京オリンピック招致決定!」の時に感じたような、なんともいえぬ違和感というか、不安感というか、だいじょうぶかなー?感が漂っているこの頃です。

 感じている違和感は2つあります。

(1)A科目はどうなるんですか?本当になくなっちゃうんですか?

「地理A」や「日本史A」、「世界史A」は、B科目のハーフサイズ、2単位1年間を標準修了年限とする科目です。サイズはハーフでも中身は結構詰まっていまして、最近は、テレビや書籍でおなじみのジャーナリストさんや、国際問題について鋭い評論を書いている作家さんが、「ビジネスパーソンにとって世界史の知識は必須だ。高校世界史の、近現代を中心に書いた世界史A”の教科書を買って読むことを勧める」と公言するくらいです。これは地理にも言える事でありまして、高校地理で知っておいて欲しい知識やノウハウが上手にコンパクトにまとまっているなあという気がします。

 「ハーフサイズ」とか言うとどうしてもマイナー科目のように見えますが、実はB科目よりも履修者は多いようです。文科省の調べ(これも中教審の審議会用の参考資料)によると、各科目ともBよりもAの方が履修者が多いことがわかります。
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    文部科学省(2015) 「高校教育における教科・科目の現状・課題と今後の在り方について(検討素案)(歴史教育・地理教育)」教育課程部会 教育課程企画特別部会(第7期)(第8回) 配付資料(資料2)

 履修者が多い「A科目」が必修になるんだからいいんじゃないか?という考え方もあるかと思います。ただ、現行の提案では、A科目の再編成、つまり全く新しい科目が誕生し、それが必修科目になると考えています。

  日本学術会議の提言では、地理の新科目と、日本史・世界史融合の新科目の設置をもとめていますが、その名称を「地理基礎」「歴史基礎」としてきました。必修科目(恐らく1年次)で地理なら地理の基本的な考え方やデータのまとめ方、もう少しいえばGISなどを使って「自分で地図を描いてみる」「自分で外に出て、景観や人の話から地域を診断してみる」トレーニングを積んだ上で、興味のある生徒は系統だてて理論や知識を吸収していくというイメージでいました。もう少し言うと、「基礎」の上に「専門」があり、その専門科目の尺(しゃく)は、長いものと短いものの両方があった方がより実効性が高いのではないか?と思うのです。

  暑い日が続くので、水泳に例えてみましょう。小中学校で、プールや川で泳ぎを学んだ子供たち。高校で「海での泳ぎ方・魚や貝の捕まえ方」を学びます。これまでは一部の子しか海につれていけませんでしたが、今度は全員波打ち際で海の水に慣れ、海そのものについて色々な角度から学ぼうというわけです。それで「あー、面白かった」と陸に上がっていく生徒も多いのでしょうが、「遠泳をやりたいっす」とか、「ダイビングしたいっす」「プロの漁師になりたいっす」という海好きの子を集めて、「じゃあ、ボートに乗って、大海原に漕ぎ出してみるかい?」ということで用意するのが「地理A」なり「地理B」です。ただ、生徒のニーズも違いますし、港(学校)の大きさやクルーの数も違いますから、ボートの大きさに選択肢は残しておくべきです。また、「日本史の海にも行きたいし、世界史の海にもどっぷりつかりたい」というニーズだってあるわけですから、。そういうニーズに対応する上で「A科目」というのはなくしてはいけないと思います。

  「磯遊びコースを作ったから、近海漁船はいらないでしょ?遠洋の大型船」があれば十分とも取れる指針は、「Why?」と言いたくなります。「新課程」丸は、就航して未だ3年しかたってませんし、3年次に「地理A」を開く我が勤務校に至っては、今年が初航海です・・・「地理Aを再編して」と、差も当たり前のように書いていますが、これはパブコメでもなんでも出して、ちょいと待ちなはれと言いたいのです。

  現在、A科目は実業高校や総合学科の高校で多く開講されています。最近は、これらの学校から大学進学する生徒も多く、A科目はもとより、B科目への需要も増えてきています。「地理総合」のみを開講してA科目を廃止するとなると、見かけの単位上は変わりませんが、その後の専門的教養をどう担保するのかという点に不安が残ります。農業高校における自然環境や農業地理学的な考え方、商業高校における商圏分析理論や立地展開など、正直言って「体験的・探究的学び」だけではフォローしきれない、座学と演習で身に着けたい事柄も少なくありません。他教科・科目(専門教科)との兼ね合いからB科目を置けない学校で、「地理」や「世界史」、「日本史」への需要を満たす上で、これまで通りのオーソドックスな内容の「コンパクト版」であるA科目の存在は必要不可欠です。

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文部科学省(2015):「高校教育における教科・科目の現状・課題と今後の在り方について(検討素案)(歴史教育・地理教育)」教育課程部会 教育課程企画特別部会(第7期)(第8回) 配付資料(資料2)

 「スクラップ・アンド・ビルド」ではなく、「ビルド・アンド・ビルド」でいいんじゃないでしょうか?あくまで選ぶのは、現場であり、生徒です。

(2)ちゃんと教えられるのか?教える人をどう確保していくのか?

 「地理総合」なる新科目が掲げる理念は崇高です。本気でやろうと思ったら、地理を専門とする教員もしり込みするくらいの中身になります。ただ、実際の担い手となるのは、地理を専門としない教員が多くなります。「失われた20年」の結果、現在、30代半ばよりも下の世代の地歴科目教員には、高校時代全く地を履修しなかった方が多くいらっしゃいます。7年後でしたら、40代になられています。「地理的な見方・考え方」とは一体なんぞや?GISとGPSの違いは?といったところから、ESD、アクティブラーニング等々、とにかく最新の理論やノウハウを「総合」的に集めたところでちゃんと消化できるのかな?という漠然とした不安があります。

  浜辺で魚を釣るには糸と竿があれば十分です。魚をさばくにはよく切れる包丁が一つあれば十分です。別に魚群探知機を操る必要もありませんし、冷凍マグロをさばくようなチェーンソをみんな使えるように求めているわけではありません。今、必要なのは「魚は海で自分で獲ることができ、自分で料理するととてもおいしい」という極めて当たり前の「生きる力と知識」をすべての高校生に一刻も早く伝えられる仕組みを取り戻すことです。・・・・・・小中学校の地理教育を否定するつもりはありませんが、高校地理が隅に追いやられてきた結果、「魚って、切り身で泳いでるんですよね?」とか、「アジと、サバと、イワシの違い?んなんもんわかんなーい」「魚?見るのも嫌。私、お肉食べるからいいもん」みたいな若者(いや、結構な大人も含めて)が増えています。「再必修化」によって、一応先生も生徒も浜辺に立つわけですが、ではそれで問題が全部解決するわけではないのです。

  最も危惧されるのは、釣れない(面白くない。生徒ものってこない)→原因がわからない→しょうがないから続ける→ボウズ(得るものなく終了)
のサイクル。これでは「さあ、次は沖釣りだよ!」と言っても人は来ないでしょう。「必修化」はもろ刃の剣でもあるのです。

  さて、「地理屋」を自負する皆様、これから7年間、大変です。職人芸を一般化し、誰かにやってもらうノウハウを身に着けなけ行けませんし、これぞという子を沖に引っ張って一人前の「地理師」を育てなければいけません。今までのように「地理は、儲かるぞ!」(ガリガリ暗記しなくてもセンター試験で点が取れるぞ)なんて誘い文句も使えませんし(センターそのものがなくなる)「地理総合だけ開いておけば、文系で地理B(名前は変わるかな?)なんて開く必要ないですよね?だから、地理の教員は採用控えてもいですよね?」とか、若い教員が「地理総合なんて、国際問題を調べさせて、発表やディベートとかさせておけばいいんですよね?楽勝楽勝。うーん、アクティブだなぁ」なんてほざくのをたしなめたりなど、決して未来は明るくないのです。

 たらたら書きましたけど、この問題は、お上の一部が決めてどうこうする問題ではなく、現場の一人一人がどう考え、どうコメントしていくか、最悪の事態を避けるためにどう予防線を張るか、あるいはせかっくのチャンスをどう生かしていくかの問題なのです。既に、地理教員の後継者問題は、待ったなしのところにまで来ています。地理再必修化、あまりにも遅すぎたという感もありますが、とにかく今できる事は、どんどんあっていくべきなんじゃないかと思います。
posted by いとちり at 07:06| Comment(4) | TrackBack(0) | いとちりのコンセプト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする