9月22日(土)、静岡大学人文社会学部で行われた「地歴教員養成講座」にお邪魔しました。
人文社会学部の主催で、「歴史教育研究会」として重ねられてきた講座を再編し、高校の地歴科(特に日本史・世界史)の教員志望の学生さんと、OBをはじめ、県内の現職の先生方との交流がなされている講座です。残念ながら、「地理の教員を目指す」(科目別の採用試験で「地理」を選択する)という学生さんはいませんでしたが、歴史で採用されようと、公民科で採用されようと、「地理」はどこかで担当するわけですし、これから必修になるのですから、いまの「業界」のトレンドと、日々の授業(まさにその週にやったばかりのネタ)で模擬授業をさせてもらいました。タブレット17台、マジックペンやらはさみやら、カートに載せて静大の坂をゴロゴロゴロゴロ・・・・。麓のバス停から丘のてっぺんにある人文学部棟まで、じつにいい運動になりました。
レジュメに関しては、以前公開した通りです(改めてリンクします)。
プレゼンというか、要所要所の資料提示ですが、スライドを使いました。こちらにリンクを貼ります。
タブレットを見ながら大判の白地図に主題図を描き、2つの地図を比較してわかることを述べる・・・ただそれだけの実践ですが、非常に楽しんでいただけたようです。スライドにもあるように、「アクティブ・ラーニング」とかしこまるのではなく、「教える(ティーチング)−気づきを促す(コーチング)」、「個別トレーニング−チームプレイ・ゲーム形式の演習」の4パターンの組み合わせをルーティンで回していく中で、「型」ないし「カリキュラムデザイン」が形作られていくのではないかと思います。
今回の実践は、「コーチング×ゲーム形式」ということで、安易に教えない、導かない、ぐっとこらえることが求められました。アクティブ・ラーニングの本などを見ると、一斉授業を否定して、毎時間一切教えないようなスタイルを貫くことを推奨するものもあります。私自身、それに合わせて結構長い期間、頑張ってみましたが修行が足りないというか、我慢が足りないというか、少なくとも「これは自分の地理の授業には合わない」と思いました。単元のゴールを置いて、基礎体力をつけるところ、新しい技を編み出すところ、競い合うところなど、うまくメニューを作っていく事が肝心かと思っています。「〇〇式」とか、「△△型」に縛られることなく、アレンジして行けばいいと思います。
更に、有意義だったのはもう一方の講師である、静岡高校の地学の先生の模擬授業でした。
地学と地理の接点という事で「大気の大循環」がテーマでしたが、板書とプリントを組み合わせたテイクノートの方法と評価、テーブル上でできる「実験」など、大変参考になりました。
質疑応答で、この際だから聞いてみようと思い、高校(特に進学校)における「地学」の扱いの現状について色々と質問し、大変示唆に富んだ回答を頂きました。
学習指導要領の改訂で、新たに「地学基礎」(2単位)が設置され、これまで地学を開講していなかった学校でも地学を学べるようになりました(特に文系の選択科目として)。ただ、長い間地学の教員を採用してこなかったこともあり、多くの学校で「地学ノンプロパー」の先生が授業を持っているのが実情です。それに対して「地学プロパー」の先生はどのような対応をしているか?と聞いたところ、埼玉県の地学の先生を中心に、教材キットを作って公開しているとのことでした。
(→恐らくこちらです)
なるほど、地理もこういうわかりやすいサイトや教材集が必要かもしれません。
もう一つ。「地学基礎」は割と選択しやすい環境は整ったものの、更に深く学ぶための専門科目「地学」(旧地学U)
の開講状況はどうなっているかを聞きました。・・・大変痛いポイントをついたようで、先生曰く、理系で「地学」を選択できる学校は、静岡県内で3校しかないとのことでした。教育実習を「地学」で行う、つまり「高校で地学を学び、地学の先生を目指す」学生さんがコンスタントに来るのは、うち(静高)だけではないか?我々は「地学教育の最後の砦」であるとのこと。「地理」の世界の近未来を見るようでした。
地理が必修化されると、当然のことながら開講単位は増えます。ただ、地理を専門としない先生は、ともすれば自分も高校で習っていない「地理総合」を担当するのを嫌がりますし、数少ない「地理プロパー」の先生は、「素人さんに持たせたくない」という考えが先行して、「地理総合は、全部俺が持つ」なんてことになるかもしれません。・・・で、「地理総合+地理探究」(という名の理系のセンター試験対策・・・そのころには「センター試験の地理」が残っているかどうかは微妙ですが)で本人の持ち時間数の上限に達してしまい、「文系の地理探究」は選択肢にすら置かれない(現状のまま)という事態が起こるのではないかと想像しています。静岡県の教員採用試験、「高校地理」は、ここ数年、受験者数が20人を切っていますが、地学同様に「地理で教育実習」「地理で教採試験」という人は、絶滅危惧種になっていくかもしれません。
相も変わらずプロパー、ノンプロパー論を持ち出しますが、必修時代の高校地理の成否は、今の地理プロパー達の意識を突き崩していく事だと確信しています。「地理総合」を地理を専門としないとコンビを組んで(できればメイン担当になってもらって)まわしていく、あるいは全部持ってもらうくらいの潔さを持たないと、専門科目である「地理探究」の選択の機会を保障することは厳しいと思います。「理系の生徒が地理学科に行って地理の教員になればいいじゃないか?」「地理総合さえやっていればいいじゃないか?」という意見も出そうですが、それは文系で「地学基礎」をやった人間に地学教員になってもらおうというくらい非現実的なことだと思います。
別に高校地理の先生を育成するために地理の授業をしているわけではないですが、基礎科目で身に着けた知識や技能、知的好奇心を更に深める「探究科目」の選択の機会は、どの学校にもどんな進路でも保障しなければならないと思います。地理教育者は良くも悪くも職人的な「地理屋さん」を自称する人が多いですが、自分の知識や指導力を極めるだけでなく、誰かに気持ちよく仕事をしてもらうこと、自分のパートだけでなくお店(学校)全体、業界全体の利益を考えてマネジメントすることが必要なのではないかと思います。
私も含めて「(今のところ)最後の日・地・世・公 全部履修世代」(41歳以上)が中堅からベテランに入る頃、新学習指導要領がスタートします。良くも悪くも「現場の事情」を突き崩せなかった上の世代(オールドプロパー)を反面教師にしながら、次の10年を作っていくことが我々の世代の使命なのではないかと勝手に考えています。使いやすい教材、暗黙知の言語化、図示、マニュアル化、教員間の交流など、出来ることを積み上げていく必要性を感じました。そういう意味で、歴史教員と歴史教員の卵が定期的に交流する静岡大学の取り組みは素晴らしいと思います。「ならば地理も・・・」といきなりセクト主義に走るのではなく、まずは何回かこのイベントにお邪魔してノウハウを吸収していければと思っています。
最後になりましたが、お招きいただき、どうもありがとうございました。