研修の番外編です。
Stroly(https://stroly.com/)という、Webから地図をアップロードして位置情報を合わせて、スマホ等で閲覧できるサービスがあります。ハザードマップを載せてみましたので、スマホ等で開いてみてください。現在地が出ます。なお、写真なども埋め込むことが出来ます。(画像にタップすると地図が出ます)。
柏崎市洪水ハザードマップ(広域)
柏崎市浸水防災マップ(駅南地区)
(geotiff)テストファイル
日 | 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | ||
6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 |
13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 |
20 | 21 | 22 | 23 | 24 | 25 | 26 |
27 | 28 | 29 | 30 | 31 |
「地学の春」の記事を大分前に見せて頂きました。
次回の学習指導要領から「地理」が必修になり、どのような考えをお持ちなのか、このブログを再度見せて頂こうと思っていましたが、今日になってしまいました。
私は平成5年度に高等学校を卒業していますが、3年次の社会選択は「地理」を選択しました。
中学生の時は「地理」より「日本史」の方が好きだったのですが、高校
1・2年生の時にこの2科目をそれぞれ履修し、3年生の時は「地理」を選択しました。
そういったこともあり、私も「地理」の必修化はうれしく思いますが、
公民科目「現代社会」の廃止、「公共」の新設は疑問に思います。
幼い考えかもしれませんが、面接時などで、
「好きな(または 得意な)科目は何ですか。」
「公共です。」
というやりとりを考えると、少し違和感を感じます。報道によると現社と大して内容に違いないみたいですが、それなら「現代社会」の科目名でいいのでは、と思います。
話が大分逸れて申し訳ありません。本題の「地理」の必修化について、というよりも「地理を学ぶ意味について」ですが、地理学習の面白さは「世界の多様性を知ること」にあると思います。先月、私が住んでいる自治体で教科書展示会があり、久々に二宮の「地理B」教科書を読みましたが、「まえがき」(だったと思いますが)に「画一化している世界であるが、多様化している一面もある」といったような記述があり、うなづく部分がありました。
もし、世界が悪い意味で画一化されたならば、「地理」は「地学」に統合されるのでは、と思います。(地理を学ぶ意味がなくなるので)
そういった点からも、昨今の私立大学入試で「地理B」の出題校が大幅に減少していることには危機感を感じます。
グローバル化とわが国固有の良さがマッチすれば、「地理を学ぶ意味」もあると思います。
長々と私見を書いてしまいすみません。暑い日が続きます。無理をせず、ご活躍ください。
「地学の春」は、必修化された地理が今後どう定着して行くかを占う上で参考になる事象だと思います。ただ、身の回りの地学の履修状況(地学基礎を文系生徒の多くが履修、「地学」を履修する生徒は皆無or非常に少ない)や、担当する教員の扱い(基本、専門外の教員が担当・・・「専門家」が担当しているところを今のところ見たことがないです)し、そうした先生に対する学会なり教科の研究会なりのフォローはほとんどなく(少なくとも自分の県に関しては)、教科書の内容を淡々と教える)という状況を見ていると、いわんや地理をや・・・という気がします。
それでも地理は必修ですから、すべての学校ですべての生徒が履修することは、地学よりもアドバンテージはあると思います。というか、本来は日・世・地・公民が全員必修で当然だったところが「現代社会」の登場や未履修問題で骨抜きにされ、挙句「地理は理系のセンター科目」のような形で歪められた「失われた20年」からようやく正常化されるものだと思っています。それ故、「専門でない先生が自分も学びながら教える」のは至極あたりまえの現象であり、「中学レベルの内容をマスターしていない生徒には基礎からきっちり教え、定着させたうえで発展につなげる」ことは避けて通れないことだと思います。・・・それを棚に上げているわけではないでしょうが、どうも指導要領のアウトラインを議論した日本学術会議の議論(私も地理教育分科会の末席で異論を唱えたりしましたが)や、地理必修をめぐる研究者や学会に出てくる現場の先生方の議論を聞いていると、「地理総合」という名の理想的(実際はあらゆる分野の寄せ集めとも言えますが)かつボリュームのありすぎる科目を現場に押し付けて、「素人には絶対できないだろう。さあ、どうしたものか?」と悲観しているように見えてなりません。
予想されるパターンとしては、「必修」後の高校地理は3つに分かれると思います。1つは指導要領、教科書を無視して従来の「地理B」を講ずる進学校型(地理総合と地理探究を連続履修させ、受験につなげる)、1つは現行の「地学基礎」よろしく淡々と進むパターン(進学校の文系や、実業校など)、もう一つはアクティブラーニングやGISなど、「地理総合」の先駆的な部分だけに特化して、教科書の枠からはみ出して独創的な実践が繰り返される「先駆的」(すぎる)パターンです。私自身としては、2番目の「教科書準拠、淡々」で進める先生方をいかにサポートし、週2時間の限られた時間のなかで地理に対する興味、関心を高め、授業外での学びや「地理探究」を勉強してみたいと思う生徒をどう増やすか?にウエイトを置いていきたいのですが、業界の上の方(議論をリードしている方々)を見ていると、3番目の「先駆的」だけが走り、1番目の「現場の事情」(正義)をかざす(悪い意味での)「プロパー」にどう接して行くかがあまり考えられていないように思います。
いろんな意見があってしかりだと思いますが、「地理必修」をめぐる議論自体、地理教育に関わる人にとっては関心が高いところですが、それ以外の分野の人にはあまり気をかけないところでもあります。ただ、「そういうものだ」と捉えていると、地学の二の舞というか、専攻する学生の人口も、教員の後継者も増えないでしょうし、それこそ「公共」と統合されてもおかしくない事になるかもしれません。必修化で「地理を学ぶ意義が・・・」と理想を語ることは大事ですが、ボリュームゾーンである「普通に、教科書準拠で教える」先生方にどうアプローチして行くか、学会が足りない部分は当事者である現場の人間がフォローして行かなければならないと思っています。