あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いします。
さて、初詣に行ってまいりました。
毎年行っている帰省先の神社、お寺に加えて、今年は(個人的に)地理の神様、偉大なるメンターとして奉っている、守屋荒美雄先生のお墓に行ってまいりました。
守屋先生は、昨年創業100周年を迎えた帝国書院の創業者であり、独学で「文検」(文部省検定)に合格し、旧制獨協中学校で教鞭を執られた地理教育の父ともいえる方です。昨年のお盆、帝国書院の100周年記念事業の一環で、先生の郷里、倉敷市で講演をさせていただきました(詳しくは"いとちり”2017年8月12日)。
帰省先から電車で約40分。昨年のお礼も兼ねて、お参りに・・・・と思って行ったのですが、あれ?わからん・・・。お盆の時、ささっと車で連れて行ってもらって、土手沿いの、小高い丘の上の・・・とまで記憶していたのですが、何しろ丘沿いにお墓があちこちに。上がったり下りたりしていると、小雪が舞ってきて、こりゃいかんかと思って来た矢先、自転車に乗ったご老人に遭遇。
翁:「なにしてんの?」
私:「はあ、お墓参りに来たんですけど、お墓が分からなくて」
翁:「ほう、誰の?」
私:「守屋荒美雄さんというんですが・・・帝国書院の創業者で」
翁:「???」
私:「いや、あの、守屋という方の一族のお墓で、そこだけポツンとありまして」
翁:「ああ、はいはい、"モリヤ墓”ね。むかし、倉敷のえらい人が、わざわざ倉敷の町を見下ろせるところに建てたっていう・・・。知っとる知っとる。子供の頃、遊んだことあるわ。いいか、こっからだな・・・。」
と、このご老人のおかげで無事にお墓詣りができました。
守屋荒美雄が亡くなったのが昭和16年ですから、確かにご老人が子供の頃からあったわけです。ちなみに、お墓がある場所は、倉敷市船穂町ですが、2005年に倉敷市に編入されるまでは、浅口郡船穂町ですので、ご老人が言うように、「倉敷の人のお墓」なわけです。
今、帝国書院さんの高校向けの定期刊行物に守屋荒美雄の生涯について小稿を書いています(3学期中には出版・配送の予定です)。お墓のことも書いてありますが、そういえば詳しい行き方をガイドしたものがなかったなあと改めて思いました。お墓には、帝国書院さんが設置した案内板と、訪問者ノートが置かれており、誰でもお参りできる形になっています。「聖地巡礼」でもないですが、倉敷方面に行かれる際、ちょっと足を延ばしてお参りしてみてはいかがでしょうか?倉敷駅と新倉敷駅、どちらからも1駅の西阿知駅から2.7qでです。今度は迷わないように要所要所で写真を撮りましたので、参考にしてください。
(地理院地図で作図)
@西阿知駅 A西阿知小学校(守屋荒美雄像があります)
B船穂橋(高梁川の左岸のあたりに荒美雄の生家があったそうです)
C船穂の集落(用水路沿いに街道をまっすぐ進みます)
D横堤防(用水路に平行した堤防が直角に折れた場所です)。トンネルをくぐれば「モリヤ墓」へに続く坂に出ます)。
今回、お墓そのものの写真は撮っていませんが、2010年2月、初めてお参りに連れて行ってもらった時の写真がこちらです。高梁川越しに、荒美雄の郷里が一望できます。